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与える=役に立つ、だと思ってた。

【与える】って【=役に立つ】だと思ってた。

先に与える、与えた分返ってくる、与える意識、与えれば与えるだけ……

それぜーんぶ【役に立つ】に変換されて認識してたの。
先に役に立つことを提供する。役に立てた分返ってくる。役に立てれば立てる分だけ…。

ギフトや自分の役割なんかも、

それを使って【役に立つ】
より楽に役に立てるもの、みたいな。

役に立ったら喜ばれて、その人も良くなって、私も好いてもらえる率が上がって。。。


でもそれだとさ、ずーーっと役に立てること探してるんだよね。

「私が持っているもので、今この場で1番役に立つものはなんだろう」

「これは比較的楽にできるから役に立てるな」

「これだけじゃ役に立ってる率(喜び率)少ないから、何かもう少しつけ足さなきゃ」

…喜んでもらうのに必死、みたいな😂

(あ、喜ばせるのが好きっていう純粋な愛ももちろんあるよ♪

でも、私が普通に提供するものでは足らないって意識が根底にはあるなと思う)


で、その人やその場にとって、どれだけ役に立てたかに大小があって、優劣があって、

より大きく役に立った人がすごくて、立ててない自分は責めて凹んで。

じゃあ私がより役に立てるものはどこにあるんだーーーって……


いや、書いてて苦しっ(笑)(笑)(笑)


【自分に与える】は限定しないのに、【人に与える】は役に立つことになっちゃうの不思議ね。

結果的に、与えたことや自分の役割をすることが、誰かの役に立つのかもしれない。

でも私の役割は「役に立つこと」じゃなくて

《愛でいること(心地よくいること、安らいでいること)》とか

《生きるのを楽しんでいること》とか

《旦那さんの癒しでいること。花でいること》とか

《目の前の人を全開で愛すること》とか

その私で''在る''ことが、きっと【与える】

貢献したいと思うなら、そう在ることがやること。

それがその時役に立とうが立たまいが、影響をどれだけ与えようが、関係ない。優劣もない。

それぞれがそれぞれの役割をしているだけ。

*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:

これを手放そうと思った今、

役に立とうとして、好かれようとして、やっていたことや意識が、自分の予想以上に多くて

自分でちょっと引いた😂😂

そら力入るよなって(笑)

でも、気づいたから、きっともう癒しは始まったね(*´-`)

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