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愉しい恐怖の世界

子供の頃、震えあがって眠れなくなるような怖い話が好きだった私。
古典的な『四谷怪談』や『番町皿屋敷』のような怪談の物語は、覚えるほど繰り返し読んでは、夜毎その世界に入り込む日々。
そして、推理小説ではあるけれど、横溝正史の『八つ墓村』や『悪魔が来たりて笛を吹く』などの恐ろしい連続殺人事件の小説まで、不気味で「怖い」と感じるものが好きで堪らなかったのです。
漫画では、水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』のような妖怪が出て来るものも、つのだじろうさんの『恐怖新聞』『うしろの百太郎』のような、心霊現象や怪奇現象・超常現象を題材にした作品も興味深く、単行本を買い集めては読み漁るような小学生でした。

小学2年生の頃は「夜9時までに寝なさい。」と言われていたけれど、どうしても連続ドラマになった『八つ墓村』が見たくて、ドラマの放送がある水曜日の夜だけは、特別に消灯時間を延長して貰えたのが嬉しかったです。

恐怖の世界の中でも、中学生の頃から海外のB級ホラー映画の虜になり、大学に入ると、クライブ・バーカーのホラー小説にハマって行きました。
東洋の怪談などとは違う世界観は新鮮で、学校の勉強には全く身が入りませんでした。

大学生なら、もっと進路を真剣に考えるべきだったのかも知れませんが、私のような妄想に生きる人間には無理な事でした。
そもそも幼少の頃から、「大きくなったら、何になりたい?」と友達に言われてもピンと来ないような、ぼーっとした子供だったのですから。
「何になる?」という問いの意味すら、「体が大きくなる」のか?「年をたくさん取るのか」も、良くわからなかったですし。
それでも、うなりながら考えて「お話を書くひとになりたい。」
いつしか、そんな風に思うようになって行きました。漠然と。

今の私は、年齢は大人になったかも知れませんが、人間性としては全く大人とは言えない偏った人間になってしまいました。
好きな事に熱中すると、ご飯を食べ忘れてしまうし、お財布にあるお金は全部使ってしまう。思った事が、すぐ顔に出てしまう。
人の気持ちに敏感過ぎる神経症的な性格。
バランスが悪すぎます。

これでもかろうじて、ライターという「文を書くひと。」にはなれましたが、残念ながら、「お話を書くひと。」にはなれていません。
そして、今は「お話を書きたい。」という気持ちは、まだありません。
ただ、いつか「世界中の人たちが、震えあがるような怖い物語を書きたい。」
そんな風に思っています。

横溝正史の『八つ墓村』のように、人間の感情の清らかさと醜さから、おぞましい恐怖の世界が生まれてしまう。
もしくは、「愛しているから、殺して私だけのもの(人)になって欲しい」
そんなホラーの世界を、自分でも描けたら嬉しいだろうな・・・・。
私の理想の恐怖の世界は、美学のある恐怖です。
ちょっと説明が難しいのですが、「怖いのに、何故か惹きつけられる。そして美しさを感じる。」そんなものです。

こんな事をぼんやり考えながら、食べ忘れていた夕ご飯を、これから食べます。

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