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みんながわたしの“はじまり”


「今日こうしてみんなにお誕生日おめでとうって
言ってもらえて、めちゃくちゃ幸せです」

泣きながら、なんとか言葉にした。
2024年、7月21日。


こんな世界に身を置ける日が来るなんて。
あんなに熱望した球児との時間が日常にあるなんて。


一年半前のわたしは、知らなかった。





「野球界にヨガを伝える」

そう決めて、突っ走ってきた。

ツテはない。
母校との繋がりも今はほぼない。
弟の母校にも知り合いはいない。


どうやって、高校野球界に
知ってもらえるんだろう。


お手上げ状態だった。



でも、本氣のことには神様が味方をしてくれるようで
10年以上ぶりに家族ぐるみで交流のあった方に再会。

その方に、いわゆるわたしの熱を感じ取ってもらい
その方が時間とエネルギーを分けてくれたおかげで
わたしはある高校野球部に出逢えた。

(もう少しドラマチックな展開だったけど
この記事では端折ります。笑)


「野球とヨガ?そんなのイメージできないね。」

「言わんとしてることは分かるんだけどね・・・。」

「ヨガって必要?」

鋭い言葉は、たくさんもらった。
他にもいろんな苦しいことはあった。

何度、歯を食いしばったか。
何度、悔し涙を流したか。


それでも、今、わたしは
確かに球児たちとヨガの時間を共にしている。


まぎれもない事実。



出逢ったチームの監督は
「選手たちはいろんな大人と出逢うべき」
と言って、温かく迎え入れてくれた。

(監督が素敵だから、コーチもスタッフさんも
保護者の皆さんもまあ素敵で。びっくりした)

きっと、ヨガのことは全然知らなかったと思うし
これが選手のためになるのかと不安もあったはず。

それでも、ヨガを取り入れましょうって
すぐにアクションしてくれて
そこから始まったみんなとの時間。



初めて体験してもらった2023年11月の終わり。

挨拶がしっかりしていて
みんな素直でまっすぐで
わたしの中に眠っていた部活の日々が
急に思い出されて懐かしかった。
と、同時にみんなのエネルギーが眩しかった。


ただ、ヨガはきつそうだった。
うめき声や奇声でいっぱいだった。笑

パワーはあるし、野球では動けるのに
こういう動きは苦手なのか・・・とか

点と点では理解してくれるけど
線にならないのか・・・とか

スローな動きになるとできなくなるのか・・・とか。

いろんな発見があって、イメージと異なることもあって
1回目を終えたわたしは猛烈にワクワクしたのを覚えてる。


それから月2〜3回、みんなの元へ。

名前を覚えるのに必死。
キャラを掴むのに必死。
全体の雰囲氣を掴むことも忘れなかった。


めんどくさいなぁって思ったかもしれないけど
ワークシートも使った。アンケートもとった。

名前はもちろん、考え方や言葉の使い方、
思考の癖までも見たかったから。

“外部の人”ではなく、わたしも真っ向から
みんなと向き合える大人でいたかったから。

月に数回しか会えないわたしには
これが精一杯の策だった。



完全防寒しながら風船を使った日もあった。
いよいよ寒くなって教室でギュウギュウでやった日も。
テレビの取材が入って、緊張しながらやった日も。
疲れすぎて、シャバーサナで起き上がるのが遅い日も。

いろんなことが、たった60分の中にあって
その中でそれぞれに感じてくれたものがあって

氣づけば、最初の呼吸瞑想は
静かに穏やかに集中するようになった。

たった数ヶ月、されど数ヶ月。
彼らにはとんでもない“可能性”を感じた。



ある日から、わたしにしてくれる挨拶が
お客様ではなくスタッフとしての挨拶に変わった。

泣きそうなくらい嬉しかった。


ヨガの効果は数値化できないし、
ヨガをするから必ずヒットが打てるとか
守備でノーエラーになるとも言い切れない。


わたしの言葉や想いは届いてるのか?
マインドの話は腑に落ちてるのか?
ヨガに対する信頼はあるのか?


ヨガの効果がはっきりと見えなくて
期待に応えられているのか不安で
不甲斐なさや悔しさを感じることもあった。

みんなの反応を見ては自信をなくした日もあった。


それでも、諦めたくなかった。


みんなが本氣で目指す舞台にたどり着くために
わたしが伝えられることは全部伝えたかった。



4月、5月・・・

顔つきが変わって、体も引き締まって
わたしとの会話にも奥行きが出てきた。


ワークシートには、こう記されていた。

「野球の間にヨガの動きを取り入れるようになった」
「当たり前のことに感謝できるようになった」
「その日の自分の氣持ち(やる氣)が分かるようになり
切り替えが上手くなった」
「野球は全力だけど、力の抜きどころが上手くなった」
「目標を立てたり、モチベーションに変化が出てきた」


みんなの言葉を目にした時
あぁ、本当に諦めないでよかった。
そう思った。

わたしのエゴだったかもしれない活動は
これからの未来を担う子どもたちの心に
少しは貢献できたかもしれない。
そう思った。



「え、SHIORIさんのヨガは
あと何回ですか!?」

主将を含む、数人の声。

こんな言葉が聞けるようになるなんて
夢にも思わなかった。


家族でもない、先生でもない
監督やコーチでもない
そんな人からの言葉は時にうざかったかもしれない。

俺の何を知ってるんだよ!
そう思ったこともあったかもしれない。


それでもわたしは他の誰かが見ないところまで
見ていられる存在でいたかった。

「1人でやらないでいい。もっと周りを頼っていい。」
「〇〇は、唯一背中で魅せられる選手だと思う」
「まだまだ秘めてるものあるんじゃない?」
「〇〇の言葉には力があるから、上手く使って」
「いつでも俺が行けるというスタンスで準備をして」
「みんなは奇跡を起こせる人だよ」

1人1人のことを思い浮かべながら
赤ペンでメッセージを書いた。

嘘偽りなく、書いた。


彼らの夏は、7月25日に終わった。
その試合は観に行けなかった。

“あと少し”が遠いことを痛感した夏だった。

でも、わたしにとっては彼らが最高の球児で
彼らが静岡1輝いていた。


訳あって、高速を運転していた夜。
数名の球児からのメッセージを見て
号泣したのは、いい思い出。笑



ある選手の提案で

ヨガで散々やってきたビジュアライゼーション(イメトレ)を
試合前の儀式として取り入れてくれた。

本質を知っている彼らの円は
ただただ美しく、強かった。


公式戦初のホームラン、
2年生の大活躍、
3年生の頼もしい背中、
どM級の大逆転劇、
2アウトからの魂のヒットの連続、
1年生の力強い応援、

どれもが完璧な瞬間だった。


わたしは、彼らの野球人生に
ほんの少ししか関われていない。

人によっては記憶に残らないかもしれない。

それでも、ヨガの力が
みんなの中に馴染んでくれていたら・・・

練習や試合でのいいプレーが出るたびに
ヨガが少しでもきっかけになっていたら・・・

そう願っていました。


ヨガの効果の真相は分かりません。
きっとこの先も、数値のように明確ではないと思う。

でも、身体以外の面で
大きく変わった選手がいたのも事実。

存在感に磨きがかかったというか
目に見えないものの質が上がったというか。

時間はかかるかもしれないけれど
ヨガは必ず、球児を守るし、支える。
野球というスポーツに没頭するための
手段にもなる。野球から離れた後も
みんなの心を真ん中に戻す。


素晴らしい、ツール。



わたしの「球児にヨガを」という活動において
はじまりだった高校球児のみんなを

きっと、ずっと、忘れない。
いや、忘れられない。


今後、出逢うであろう学童球児や中学球児に
「こんな選手がいてね」ってみんなのことを話すと思う。



いつか、わたしのヨガに手伝いに来てくれる球児がいたりして。
いつか、自分のチームを持ったら呼んでくれたりして。

成人を迎えたみんなと乾杯!するのが、
今のわたしの夢になりました。


出逢ってくれて、ありがとう。




次の世代も、もう動き出していて
それはそれでとっても楽しみ。

🤝✨

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