ユーザー目線のつもりが、作り手目線になっていないか?
最近、そういうことが多いなと思ったので久々にnoteを書いてみます。
「きれいに作りたい」は作り手のエゴ
先日社内のデザイナーと、アプリのUIUXや階層構造の改善を検討していました。
「これだと粒度揃ってないな」
「この要素がこの場所にあるのは唐突感があるな」
「ここをきれいにしたいよね」
そんな会話をしながらデザイナーとfigmaをいじり、考えが煮詰まり、外部パートナーのデザイナーに壁打ちをしました。
そのときにハッとさせられた言葉。
「大半のユーザーはそんなこと気にしていない。きれいにしたい、というのはだいたい作り手のエゴ」
確かに、
「これ粒度揃ってないよね」
なんて、きっとほとんどのユーザーは思わない。
例えば、ZOZOTOWNで「え、すべて/シューズ/コスメって粒度おかしくない?すべての中にシューズ/コスメがあるべきじゃない?」なんて思ったことはない。
例えば、スマートニュースで、「なんでクーポンがこの位置にあるの?」なんて意識したことはない。
figmaと格闘する私は、「ユーザーに最短で提供価値を届ける」ことから、いつの間にか「いかにきれいに作るか」という作り手視点に変わってしまっていたのだな、と思いました。
ユーザーは「わかりやすくあってほしい」とは思いますが、「きれいに作ってほしい」とは思っていません。
もちろんきれいに作ることで、ユーザーにとってわかりやすくなることもたくさんありますが、それはあくまで手段であることを忘れてはいけないですね。
「こうしたらユーザーは気づくだろう」は作り手のエゴ
上記とはまた別の話。
機能をリリースすると、その機能がリリースされたことをユーザーにお知らせしたくなります。
お知らせするには、ポップアップを出す・アプリ内のお知らせ枠にメッセージを掲載する・新機能に「NEW!」をつける、などなど様々な方法があります。
どれも作り手の私にとってはサービス内に大なり小なり変化をもたらすことであり、いずれかを打てば(あるいは全てを打って訴求したら)気づいてくれる人は多いだろう、と思って訴求方法を設計していました。
そんなある日、とあるスレッドで、あるアプリのスクリーンショットと、それに対するコメントが。
このアプリではもとから「お知らせ」というタブがあり、未読バッジもついていて、かつこの人はヘビーユーザーでもあるのに、「お知らせ」はみたことがなかった。
ハッとして、毎日使っている「あすけん」を開いてみる。
「お知らせ」にはたくさんの未読バッジがあるが、一度も開いたことはない。
ポップアップだって、きっと×ボタンを押してスルーしまくってきた。
「お知らせ」はあくまで一例ですが、アプリに慣れてしまったからこそ、「こうすればユーザーは気づくだろう」というのは作り手のエゴでしかなく、
どれだけ自分たちはそれが目立つと感じても、ユーザーにとっては全くそうではないということは多々あるのだと思います。
ユーザー目線は意識しているつもりだった
二つの事例を記載しましたが、私は比較的ユーザー目線を意識している方だと思っていました。
実際に先日Research Conferenceで 偉そうに ユーザーリサーチについて語っています。
このようにユーザーの声を聞くことを意識しても、時に作り手目線になってしまうことはあり、防ぎきることは難しいのだろうと思います。
作り手目線を捨てよう、ということではない
でも私は「作り手目線は絶対にダメ」と思っているわけではありません。
作り手としてプロ意識を持ってきれいに作ることはもちろん大事です。
あるいは、必ずしもきれいじゃなくても、作り手としてあらゆる手段を用いて、知ってほしいことをユーザーに伝えることが大事な局面もあると思います。
ただ、今自分はどっちの目線で会話しているのか?
ユーザー目線と言いながら、それは作り手目線になっていないか?
これは何度も自分に問いかけたいなと思います。
「ユーザー目線のつもりが作り手目線になってしまう」を少しでも減らすために
でももちろん、視野狭窄になって、その問いかけを忘れてしまうこともあります。
視野狭窄にならないように、
・誰かに壁打ちする
・他社のアプリを積極的に使う
・他社事例をインプットする
このあたりは大事だなと改めて思いました。
(私は大体のことはそれでハッとしています)
そして何より大前提、ユーザーと会話し続けること!
どこかで理解した気にならず、常に探求を続けていきたいなと、そんなふうに思っています。
まとまりのない文章ですが、おわり。