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【エッセイ】「お前は大丈夫や」

昨年の話。
私はある一定期間、盛大に病んでいた。

きっかけは会社の人事異動に伴い担当業務が変わったこと。
新業務に係る専門知識に加え、会計やファイナンス、英語力、PCスキルなど、どれをとっても自力で業務を回すには全く足りない状況だった。

入社3年目、まだまだできないことが多くて当たり前。
できないならできないで、早く周りに頼るべき。
頭ではそう分かっていても、私よりずっと多くの業務を抱えている先輩や上司を見ていると、「もう3年目なのだからこれくらい自分でできなきゃ」との思いが勝ってしまい、業務を抱え込んでしまった。

朝起きるとすぐに「今日あの仕事を進めなければ納期に間に合わない、でもあの面談資料も早く完成させなければ」というような焦りと、間に合わなかったらどうしようという不安に駆られた。

そんな生活を続けていたある朝のこと。
出社した途端、「もうあかんわ……」と何かがぷつんと切れた。
悲しいことなんてないのに、涙が溢れて止まらなくなった。

そこからは早かった。
そのまま会社を早退し、心療内科で休職指示をもらい、その後色々あったが結果的には3か月間休職することとなった。
診断名は適応障害。
特定のストレスが原因で気分の落ち込みや意欲低下、不眠など身体症状が出現している状態をそう言う。

今振り返れば、ストレスの原因から一度距離をとるという選択ができた自分偉いぞ~!と思えるが、当時の私の心情を表すならば「絶望」の一言。
大げさかもしれないが、「これまで一定のレールに乗って生きてきた自分がそこから外れてしまった。これからどうなるんだろう」という不安に苛まれていた。

***

前置きが長くなったが、今日はそんな状態の私にかけられた「#やさしさを感じた言葉」の話だ。
noteのお題で見かけて、書かずにはいられなくなった。

その言葉をかけてくれたのはTさん。
新入社員の時から何かと気にかけてくれて、業務でもプライベートでも非常にお世話になっていた先輩だ。

面倒見がよくて、人一倍仕事ができて、当時海外に出向していたエリートコースまっしぐらのTさんも、以前仕事のストレスで心療内科に通っていた。
そんな経験も踏まえ、休職前から休職中に至るまで、ずっと電話やLINEで私の相談にのってくれていた。

Tさんからのメッセージにはいつも愛があった。
決して焦らせず、復職を強要することもなく、かといって突き放すわけでもなく、私にとって最善となるような励ましやアドバイスをくれた。

たまに過去にTさんからもらったメッセージを見返すことがある。
毎回毎回、こんな言葉にあふれていた。

「お前は大丈夫や」
「心配しなくていいからな」
「みんなお前の味方やから気にしなくていいからな」
「間違いなく良くなるから大丈夫」
「何回も言うけどほんまにお前は大丈夫や」

これからどうなるのかと不安でいっぱいな自分に対して、何度も何度も「大丈夫だ」と言い切ってくれること。
同じような苦しさを乗り越えてきた先輩からの言葉だからこそ、この「大丈夫」にはとてつもない安心感とパワーをもらえていた。
なお、私は人に「お前」と言われると普通にカチンとくるのだが、この先輩に言われるのは嫌じゃない。
なぜか温かい感じがするからだ。

その後何かが吹っ切れた私は(あまり大きな声では言えないが)残りの休職期間を楽しむ方向にシフトチェンジした。
一人旅をしたり、ずっと会えていなかった旧友に会いに行ったり、noteで物語を創ったりするようになった。
大学卒業以来ずっと張りつめていた緊張の糸がほろほろと解け、灰色の世界に色が戻り始めた。

そのうち、二度と行きたくないと思っていた会社に戻る気になった。
それはTさんのような先輩、心から尊敬できる人と働ける環境を手放したくないからでもあった。

今、再び会社員として働いているが、会社生活だけではなく、生きていくうえでの目標がある。
もし周りで精神的に苦しんでる人を見たら、自分の経験を活かして1人でも多く寄り添って支えてあげられるようになりたい、というものだ。
綺麗ごとではなく、そう心から思えるようになった。
それだけでも、あの3か月間には大きな意味があったように思う。

***

復帰した今も変わらず、仕事はきつい。
きつすぎる。なんやこれ。お金を稼ぐって大変だ。
月曜が憂鬱で泣きたくなるときもある。
旦那サマが石油王だったならば働かないで生きていきたいと思う。

でも、不思議と私は大丈夫だと思える。

あの時しつこいくらいかけてもらった「大丈夫」という言葉が私の中で根を張っているため、石油と違いこの先枯渇することはきっとない。

石油王! 私の勝ちだね! (違うか)


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