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気がつけばちぐはぐ

月曜日の朝、鏡を覗き込んでマスカラでまつ毛を伸ばしながら、昨日の自分と今日の自分がまるで違う人間のように思えて戸惑った。

ブヨらしき虫に10箇所以上噛まれてボコボコに腫れ上がった左脚の痛痒さに耐えながら、人の間を縫うようにして朝の渋谷駅を歩く私は、木々を眺めながら鳥の声を聞いていた私と地続きではないみたいで。ただ、夢の名残だけが左脚に刻まれているかのような、そんなちぐはぐ感に苛まれている。

叶うなら、エアコンから暴力的に吹き出す冷風ではなく、タープの下を吹き抜けるそよ風に吹かれながら時を過ごしたい。首都高をガタンガタンと走るトラックの音ではなく、川のせせらぎを聞きながら眠りたい。よくもまあこの歳になってそんな夢物語を、と思いはするけれど、夢が夢のまま終わってしまう人生ほど怖いものはない。

そうやって「理想の生き方」に翻弄される私を見るに見かねた夫が、「絶対内定 2021」を買ってくれた。就職活動の際に、学生が自己分析のために使用する懐かしのロングセラー本だ。でも、私は自分と正面から向き合うのが怖くて、まだページをめくれずにいる。そこには、空っぽで何も持たない人間しかいないかもしれないから。

・・・

ベッドに横になる度に、思う。今日をこれで終えていいのか? 限りある人生における1日にふさわしい過ごし方をしたのか?

昔は「充実した時間を過ごせた」という実感がまるで持てずに、時間を取り戻そうとするかのように、毎日午前3時頃まで無意味に夜更かしをしていた。寝るということが、最ももったいない行為だと思っていた。

最近は、そんなことはほぼなくなった。自分の好きな仕事に打ち込めて、あっという間に1日が終わってしまう。くたくたになって眠るのは、本当に気持ちがいい。

ただ、焦っている。富良野の星空。残雪期の涸沢カール。よく晴れた日の、支笏湖の朝焼け。私が見たい景色のうち、一体どれほどを、生きている間に見られるのだろう。夫と一緒に。愛犬と一緒に。残された時間はきっと、自分が見積もっている以上に少ないはず。

何かの病気にかかっているとか、そういうことではないのだけれど、小さい頃から頭の片隅に「死」があって、常に焦燥感に駆られている。もはや、苦しんでいると言ってもいいぐらいに。

絶対に、後悔はするのだろう。どんな風に生きても、最後にはきっと。

でもそれは、心が震えるほど幸せな時間の追求を諦めることの理由にはならない。漫然と生きずに、意志を持って幸せを選び取っていく手を、止めてはいけない。

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