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無言館で、戦没画学生と向き合った日

仕事で知り合った尊敬している方に、「上田に住んでいるなら、無言館にぜひ行ってみて」と勧めていただいてから、半年以上が経ってしまった。

9月後半の上田は、秋をすっ飛ばして冬に足がかかったかのように寒い。小雨の降る中、木々の向こうに見えた石造りの建物は、気圧されてしまうほどの存在感を放っていた。自然と建物、辺りの空気感が調和した様を目にすると、たとえば東京などではなく、上田のこの地にあることがふさわしい美術館に思えた。

無言館は、第二次世界大戦の戦没画学生の作品が集められた私設の美術館だ。開館は1997年。「無言館」と「無言館 第二展示館 傷ついた画布のドーム」という2つの建物があり、両方をゆっくり見て回るとなると2時間弱ほどの時間を要する。

先日の24時間テレビで紹介されたようで、また、シルバーウィーク期間中ということもあってか、駐車場には関東ナンバーの車が多かった。建物の中にそっと足を踏み入れると、そこには絵がずらりと並ぶ静謐な空間が広がっている。受付がないことにとまどったが、入場料は出口で支払う仕組みになっていた。

それぞれの絵について、画学生の名前、通っていた美術学校(ただし独学の場合もある)、生まれ年、戦没年とその場所などが示されている。すべてではないが、ご遺族の語るエピソードが隣に掲載されている絵もある。

このエピソードが、胸に迫る。家の外からは出征の万歳が聞こえてくる中で、「あと10分、あと5分だけでも絵を描いていたい」「せめてこの絵具を使い切るまでは絵を描きたい」と筆を持ち続けた青年たち。筆を置き、「必ずこの続きを描くから」と発ったあと、その絵に色が重ねられることはなかった。

「生きていたら、日本の美術界を背負って立つ人間になっていたはず」。そう語るご遺族の無念が、そして何より亡くなった青年たちの無念が、針のように突き刺さる。戦争とは、何だったのだろうか。いや、過去形で語れないことがまた悲しい。出口でもらったカードには、こう書かれていた。

ウクライナの人たちに
一日も早い「自由と希望」の日々が
訪れますように

数字で知る死は、なんだか現実味がない。でも、青年たちが遺した絵の前に立つと、彼ら一人ひとりの人生が、その重みが伝わってくるようで、強く胸が痛んだ。

私には美術の素養がないので、絵の巧拙は正直よくわからない。ただ、いま目の前にあるこの筆の跡は、彼らの生きた痕跡なのだと思うと、絵を残すこと、そして絵を守ることが本当に素晴らしい営みに感じられた。数十年という時を経て、私は彼らと向き合っている。彼らの目を通して見た景色を見ることで、その魂に触れたような気分にさえなる。

人間、いつ死ぬかわからない。限りある時間を大切に使おう。そう意識しながら日々を過ごしているつもりだが、時々揺れてしまう。一歩踏み出すのが億劫になって、自分が本当にしたいことではないことに時間を使って、惰性で毎日を溶かしてしまうことがある。

無言館の絵と向き合うと、そんな自分を叱咤されているような気がした。走れ、もっと走れ、と。確率はさておき、彼らと同じように、私にも同じ明日が来ない可能性はある。脇目もふらず、走って走って、私も何かを残さなければ。生きた証を刻んで終えなければ。そんなことを思う。

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