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SWITCHインタビュー 達人達「椎名林檎×小林賢太郎」回を見た感想と、ラーメンズの話

11月30日に放送された『SWITCHインタビュー 達人達(たち)』椎名林檎さんと小林賢太郎さんの回を見た感想を、少し。

椎名林檎さんの音楽は日常的に聴いているし、小林賢太郎さんの創るものが好きだ。番組の冒頭で紹介されていた『百色眼鏡』(椎名林檎さんのアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』の世界観を表現した短編映画)も、もう何度見たことだろう。

小林さんは普段はテレビに出ることが少なく、椎名さんは裏を見せないイメージが強かったので、どんな話が聞けるのか、今回の放送が発表された時から楽しみで仕方がなかった。


生み出す時の苦しみや舞台に立つ時の喜び、お客さんとの向き合い方、普段の生活とのバランス、チームで創り上げていくということ・・・ステージに立つ者同士、『椎名林檎』『小林賢太郎』というジャンルを確立している二人だからこそ通じ合う感性があるのだろうと思ったし、また『音楽』と『演劇』という違う畑にいるからこその話も聞くことができて、とても面白い回だった。

その中でも、特に印象に残った話をいくつか紹介させていただきたい。

(椎名)フォロワーの多い、うさんくさい評論家みたいな人たちが常にその辺にいるみたいな状況って、ヘルシーじゃないなと思っていて、すごくイヤなんですよ。
(小林)僕が思う"評論論"は、知識の豊富な人が「この芸術作品は、こういう方々がきっと気に入ってくれるんじゃないか」って思ったり、あるいは「気付いていない方がいるかもしれないけど、実はこれにはこういう種類の良さがある」ということを言葉に換えてあげる、通訳のような立場に近いと思っている。そうすると、「あの人があんな風に言っていたから、どれどれ、見にいってみよう。あ、本当だ。あの一言を聞いておいて、この良さがより分かりやすくなって楽しめた。次のこの人の作品も見にいってみよう」ってなるのが、一番美しい評論家さんの橋渡しですよね。
(椎名)そうですよね。
(小林)もちろん、ネガティブな部分をこういうところがもっと良くなったら、もっと良くなるかもしれないっていうことは言ってもいいかもしれないですけど、せめて同じ量というか、好きになろうとしている人の妨げにはなってほしくないですね。
(小林)『人間全員おもしろい説』っていうのが最近あって。"おもしろくない人"はおもしろくないんじゃなくて、本当はおもしろいのに、おもしろくなく見えているっていう説。なぜおもしろくなく見えているかっていうと、たとえば、そこに思惑がある人。「モテたい」「儲けたい」「すごいって思われたい」とか。そういうフィルターが重なれば重なるほど厚くなっていくから、本質が見えなくなっていく。全部取ったら天然のおもしろさがあるのに、という風に思ったりする。

(椎名)演奏家にたいしても、いろんな職人にたいしても、合わさったときに…"おいし合う"っていう言い方をよくするんだけど。全員がおいしい、"おいし合っている"という状況をいかに用意できるか。「彼が(ドラムを)叩くからこそ、こういうフレーズ」とかって持っていきはするんだけど、偶然何かが出たら即採用。大体はそうです、最優先ですね。人々が生まれ育って持ってきたもの。
(小林)森の中のアトリエで、焚き火をしたり魚釣りをしたり。その時にね、着火がうまくいかなくても、火は僕にたいしてガッカリしないじゃないですか。意思がないから「この下手くそ」とは思わない。魚が釣り竿に来てくれなくても、魚は僕にたいして人気(魚気)がないとは思わない。有機的な相手がいるコミュニケーション的な行為なのに、人じゃないから、自意識が働いていないことに気付いたんです。魚の前でかっこつけないし、火からすごいって思われようとしていない。
どう思われたいかとか、どう思われたくないかとかっていうフィルターがない時間を持つ。で、(そのフィルターが)ない時間に生まれた作品はいいんですよ。

二人の作品を好きなファンはもちろんのこと、何かしら少しでも創作をかじったことがある人は気づきを得られるような内容であったと思う。個人的には興味深い話がたくさん聞けた1時間だった。





そして、もう一つ私としては気になってしまったのが、「以前は脚本の中に紛れ込んでいる(オチのためのフリなどの)機能に気付かない役者さんや音響照明さんが、意図を汲んでくれずに機能していない箇所が1ミリでもあると気持ち悪かった。でも、最近は思っていた笑いと違っていても、その人の良さだと考えるように変わってきている」(かなり要約)という話。

(ここからは、ただのラーメンズファンの独り言。)


その言葉を聞いて、やはり"今の小林賢太郎がつくるラーメンズ"を見たい気持ちが一層強くなってしまった。

片桐さんと久しぶりの共演を果たした、2016年の『小林賢太郎テレビ8』も、コント公演『KAJALLA #1「大人たるもの」』も、爆発的な面白さであった。
7年ぶりの共演だったこともあって、特に『小林賢太郎テレビ8』では「わかる人にはわかる」ような、待っていたファンへのサービス的な演出が満載だったし、前提として贔屓目フィルターは掛かりまくっている。掛かりまくった上でだが、あえて言おう。

小林賢太郎の緻密に計算された脚本や演出に、実に個性的な片桐仁というエッセンスが加わったとき、とてつもない化学反応が起こるのだ。


二人きりで舞台に立った直近の公演からは、すでに丸10年が経過している。

ラーメンズとしてのコンビ活動は、小林さんの今の活動を語る上で真っ先に挙がるものではなく、絵や文、漫画、映像制作などといった幅広い活動項目をいくつか挙げていく中の、何個目かにやっと出てくるようなものかもしれない。それはファンからすると、すごく寂しくてつらいことだ。だけど、劇作家・パフォーマーとして、俳優として、それぞれ活躍している姿を見ていると、あれだけの才能と個性が溢れる二人を「ラーメンズ」という枠の中に押し込めようとすることにそもそも無理があるのかもしれない。

でも、それでもどこかで、二人の今の活動の軸にはそれがあってほしいと、やっぱり思ってしまうのだ。


彼らの口から何かが言われない限り、ラーメンズは在るのだとしたら。

それがいつになるのか、来るかどうかも分からなくても、いつかまっさらな舞台に裸足の二人が並ぶ姿を、もう少し夢見ていたい。


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