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かくりつ。

 下宿先でパソコンを開く。ネット記事を漁る。新型コロナの感染者数。がん闘病の取材記事。それらを目にするたびに、何気なくキーボードを触る右手や、無意識のうちに呼吸で上下する腹の存在が、虚空から切り取られたかのようにはっきりと自覚されるようになる。

 今、ここにいる。一介の大学生として、ふわふわと息をしている。その確率はどれほどだろうか。これまでに経験した大きな人生の岐路をたどるだけでも、「今、ここ」にたどり着く確率は極めて低い。奈良に生まれる確率。転園・転校を繰り返す確率。中学受験をして、母校に入学する確率。一浪する確率。東大に入る確率。そして、数学科に進学する確率。東大生は同期の0.7%というのだから、これだけでも奇跡に近い確率だと言えるだろう。一方で、1年間に交通事故に遭う確率が0.9%、日本人でこれまでに新型コロナに感染したことのある確率は1.2%、30代までにがんを発症する確率は0.1%。確率に大差などない。偶然のうちに東大生になってしまった私からすれば、これらの事象はいつ私の身に発生してもおかしくないはずなのだ。

 でも、そんなことは起こらない。起こるはずがない、そう信じようとする。どんなに対策をしても、「良いこと」と「悪いこと」は、客観的には均等に起こるはずだ。それが理解できない。私にはそんなことを受け入れる覚悟も余裕もない。そんなちゃちな確率などまるでなかったかのように、私は今をのんべんだらりと過ごしている。

 キーボードから自分の指を離し、思わず握りしめた。厚みがある。温もりがある。大丈夫。私は今、ここにいる。

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