9/22 創作反省会

 私の創作の強みはなんだろう。勿論ベースとなる比較対象は界隈によって異なるが、文章を書き連ねる力、それなりのウェイトを持って読者に長い文章を読ませ続けられる力はそれなりにあるのかな、と感じる。そういう意味で長編向きの適性はあるのかもしれない。でも今書き残したいのは、そんなことじゃない。
 高校時代に持っていた大切な強みが、もう、私のものではなくなってしまった。新作の小説を読んで改めて痛感し、恐怖が、不安が体を駆け巡って、その感覚を忘れたくなくて筆を取った。
 あれほど好きだった米津さんの曲を聴き続けることができなくなってしまった。別れの悲しみや、自己を引き裂かれるような苦しみに、あの頃ほど深く共感することがなくなってしまった。生産性ばかりを気にして、私という船を先へ先へ進めることばかり気にして、周りの景色を見る心の余裕がなくなってしまった。私は鈍感になった。
 高校2~3年生の頃、私はほとんど一限に間に合うことができなかった。一応ギリギリ間に合う時間には起きるのだが、朝食を食べると眠気や名状し難い不安が体を支配して、足を前に進めることを許さない時期が続いた。いつもは自転車やバスで登校していたのだが、1日の始まりを遅らせたい一心で、わざと歩いて学校に行くこともあった。当時は意識していなかったが、その根底にあったのは、終わりのない日々への恐怖だった。理想的な努力の仕方は分かっているのに頑張れない自分を許せず、何も考えない日々を作ることを許せなかったのだ。私は常に何かに怯えていた。自分の存在意義を食い尽くす、得体の知れない何かに怯えていた。数日に一度は泣いて過ごし、明日が来ることへの恐怖で、朝までスマホを見てやり過ごす夜も少なからずあった。それは高校を卒業するその日まで徐々にエスカレートしていった。日本史の授業中にずっと泣いていた、そんな日もあった。
 そんな時に聴いていたのが米津さんの曲だった。Lemonが大ヒットした2018年の冬に、彼と「ハチ」が同一人物であることを知ってから、手当たり次第に彼の曲を聴くようになった。彼の考え方、生き方は私の理想に相違なかった。王道のPopsの中にも明確に独自の彩りを与える彼のメロディラインに私は陶酔した。彼の歌を聴いている時だけは、私は生きていて良いのだと思えた。
 ああ、こんなことを書き並べている今も思う。何一つ書けていない。あの頃の苦しさ、悲しみと、その根本的な理由。思い出してしまえば多分、しばらくはまたあの生活に戻ってしまうことは分かっている。だから、私はその扉を開けることができない。扉を固く閉ざしたまま、偽の共感を技術で生産して、私は小説を書くのだ。
 どんなに上手い文章を書く人でも、印象に残らない作品がある。それは一つには、キャッチーなモチーフというか、万人受けするテーマ性がないことが原因だろう。しかしそれだけではない。何を言いたいのか、読者に何を伝えたいのかが不明確な作品が読んでいて非常に多いことを感じさせられる。所謂「だから何?」の作品だ。米津さんが多用する数奇な不協和音のように、読者に強烈に訴えかけてくるようなインパクトのある作品は、心に残る。
 翻って、私にはそれがあるだろうか。確かに情緒を技術で生産することは可能だ。流行を読み、戦略を練り、自分にできる範囲ではあるが、読者の印象に残るような心の揺らぎを表現するための設定を考える。いわば「結論から逆算する」ように小説を書く。確かに何かを表現したい、形にしたい、という欲求だけならば、それで十分満たされる。でもそれは、高校時代に抱いていたような狂いかけた感情に勝てるかと言われれば、その答えは明確だろう。
 高校2年生の秋の読書感想文コンクールで、私はささやかながら賞を頂いた。今思えば稚拙な文章だ。自分の焦燥の半分も伝わっていないような文章だ。私にはそれを表現する技術も語彙も足りてはいなかった。それは今も同じではあるだろうが。しかし、私がその感想文の中で唯一後悔しているのは、そんなことではない。
 最後の最後で、私は自分を偽った。絶望と焦燥の渦中にあるにもかかわらず、私はわざと前向きな言葉で締めくくった。入選のための戦略として、周囲の支えによって私は立ち直ろうとしているのだ、と、綺麗事を並べたのだ。かくして策略通りだった。審査した先生は「本音がダイレクトに伝わってきていい文章だった」と褒めてくださった。そうだろうな。本音に見えるだろうな。だが私は、その綺麗事ありきの言葉しか並べてはいない。せっかく機会をいただいたのだから、一度は本気で実力を試したい。その目的は果たせた一方で、また一つ、私は自分の可能性を潰してしまったのだ。
 もし私が、絶望を絶望のまま作品を終わらせていたら。米津さんのdioramaのように、自分の中にある確かな心情を、他人に伝わるように表現する訓練ができていたら。私の過去はその作品の中で少しは生かされていたのだろうか。それとも技術不足で破綻していただろうか。とにかく私は今、当時の私と同じことをしている。自分の根本が揺らぎそうになるのが怖くて、進捗を生めなくなるのが怖くて、私はせっかく経験した過去を、鍵をかけたまま捨てようとしている。そしてそれが小説の一部として輝ける可能性もまた、未知のまま忘却の彼方に捨てようとしている。一度忘れたものは、もう戻ってはこない。自分という人間が固まってしまうのが、大人になってあの頃の生々しい熱量が描けなくなってしまうのが、たまらなく怖い。あの頃の経験が描かれた作品が一つもないのが、怖くて仕方ない。ベッドから起き上がれなかったあの日々が無駄だったなんて、私は認めたくない。
 価値観は変化する。可能性を捨てて歩く。現実はそういうことなのだろう。でも私には到底受け入れられない。怖い。まだ縋り付いていたい。最悪、もうあの頃の心の動きが再現できなくてもいい。あの頃を経験したから今がある。そういう作品がいつか、書けるようになりたいだけだ。
 

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