外出ができない件

 私の家庭の事情は少し複雑だ。長引くコロナ禍で家族と同居する私は、徒歩や自転車圏外への外出を原則自粛している。母親が高齢で持病があるため、その彼女自身に感染への非常に大きな不安があることが主な原因である。また、症例に関する情報に乏しい以上、私が明確な根拠を持って「ここまでなら大丈夫」と伝えることができないことも、この自粛を続けている根拠となっている。ある程度制約なく外出できることによる幸せと、もし私が感染した際の(フィジカル面のみならず、親のメンタル面を多分に含む)家庭崩壊のリスクを勘案して、後者を取った形だ。

 ただやはり時折、大きな不安に襲われる。気晴らしができないことも苦しくはあるが、一番大きいのは将来が読めないことに尽きる。この2年と少しの間、親しい人との食事や旅行の誘いを断ること既に数十回。まだ誘ってくれる人がいてくれるのは本当にありがたいと思っているのだが、いつそれがなくなってしまってもおかしくないのではないのか。そんな至極真っ当な不安が脳裏を掠める。SNSの普及はあれど、実際に会って顔を見たり、そこにいる気配を感じたりすることでも、人間関係は大いに深まっていくはずなのだ。そんな世界からいつの間にか転がり落ち、ネットの海の中に放り出されて誰からも生身の人間として見てもらえなくなるのではないか。そうしてどんどん存在感を失い、信頼を失って、深められたはずの人間関係を取りこぼしてしまうのではないか。そうした不安が常にある。

 あるいはもっと漠然と、自分の人生が社会の大流とは半ば隔絶した場所に停滞してしまうのではないかという不安に駆られる。一般の人間の一般のライフスタイルを想定して練られた大学職場その他の環境のなかで、行動の自由が利かない私は果たしてまともに勉強や仕事をやっていけるのだろうか。あるいは、相手のライフスタイルへの譲歩を必要とする結婚など、夢のまた夢のように感じてしまう。私はこの先普通に生きられるのだろうか。自己実現など高尚な理想じゃなくていい。当たり前のささやかな幸せが、私にとっては遠く儚いもののように感じてならないのだ。現に段々と、その自粛生活の皺寄せが来始めている。私だけ面倒な手続きをしなければならなかったり、窓口に取りに行けば1日で手に入る書類が郵送で4,5日かかったり。そうした些細なことが精神を蝕んでいく。たまに全て投げ出したいとさえ感じてしまう。

 それでも、私は自分の居場所を守らなくてはならない。家族の一員としての居場所を守ることがこんなに大変なことだとは考えていなかった。苦しいが、未来の幸せと周囲の大切な人たちを信頼して、私はもうしばらくこの生活を続けようと考えている。ごめんなさい。

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