効果的な学びは「言葉」ではなく「画」から得られる

最近、人の動きを説明した際に、言葉にして伝えるということはとても難しいことなんだと感じた。

例えば。
「足を上げて」と言葉で伝えられたらどんな動きを想像するだろうか。
立っている状態でその言葉を聞けば、いわゆるモモ上げのような動きを思い浮かべるかもしれない。
では、どっちの足を上げる?どこまで上げる?その時の足首の形は?上半身はどうなってる?
これらを言葉にすると、ものすんごい文字量になる。
ちゃんと説明するのに数分かかるかもしれない。
しかも立っているという前提を伝え忘れたり、長い説明を聞いている最中によくわからなくなったり、と正しく伝わらない可能性も多いにある。

でも、立った状態でモモを上げる映像を見ながら「こうやって上げて」と言われたら、秒でわかると思う。
だと早いし正確。
補足程度に「足首はこうして」と言葉が入るかもしれないが、それでもわかりやすい。
正しく伝わらない可能性は低い。


とは、それだけ情報量が多いものなのだと。

自分は読み物も好きだし、こうやって記事を書いたりツイートしたり、なんだかんだよく言葉にする。
でも画に比べるときっと情報量としては少ないんだろうし、表現の拙さによって正しく伝わっていないこともたくさんあるんだと思う。
近年のタイパ重視で動画=画を倍速視聴するというのは、改めて理にかなったものなんだと感じる。
多くの人が自然とそこに辿り着いたのも納得。


さらに、言葉にすると発信者の解釈を同時に強く与えてしまうことが多いが、画だと受信者が解釈をする余地が多いとも思っている。

受信主体だから画を楽しいと思う人が多いのかもしれない。
逆に言葉で長々と説明されても受信者が面白くないのは、発信者主体だからと言えるかもしれない。
であれば、何かを言葉にするにしても、解釈する余地のある言葉を言える人の方が、人を楽しませることができるはず。
ツイッターみたいな少ない文字数で言葉にするツールだと、そういう言い方ができる人はフォロワー数も多いのでは。
芸人さんだとお客さんがいろいろ想像できる余地があるというか含みのあるボケやツッコミはウケがよかったりするのかも。


閑話休題。

コーチとして選手達と関わっている際、長々と言葉で説明してしまうことは未だによくある。
でもそれで選手たちに与えられている情報量と正確性は、コーチが思っているよりもかなり少ないのだろう。
実際にプレーを見せたり映像を見せたりして「こう!」と言ったほうが何倍も情報量があり正確に伝わる。
例えば。
普段は土のグラウンドで練習しているけど、練習のグリッドやルールの説明も、マーカーを指差しながら言葉で言うより、地面にコート図書いて説明した方が理解が早い。
試合のハーフタイムで修正点をダラダラと長く説明するより、ボードの駒を問題点の形に作っておいて「この状況が多くてキツイね!これがこうなるとイイ!」とかだけ言ってる方がチームの動きも改善されやすい。

画は短時間に多くの情報を与えることができる。

プレー経験のないコーチでも、画を見せるという部分で、動画という手段を気軽に使えるのは、コーチとしては本当に良い時代になったと思う。
自分のような体力もテクニックも低いコーチでも、動画を使えるのは本当にありがたい。
言葉として捉えておくことも重要だけど、じゃあそれを画にするとどうなる?という具体的なイメージを持てるかどうかも重要。
それができないと画に落とし込めない。


さて、では学ぶ側の視点。

動画ばかり見てるとバカになる、みたいな印象はある。
画の力が優秀すぎて思考する必要性がなくなり劣化していくってこともあるのかもしれない。
だから「活字を読みなさい」みたいな主張はわかる。
言葉から読み取って想像できる力はとても大事。

学びが早い人は、情報を直ぐに画に変換できる人、なのではないかと思うことがある。
自分の景色に変換できる人、と言い換えてもいいかもしれない。
自分の経験上で、仕事早いな〜と思う人や教えたら直ぐにプレーに出来ちゃうって選手は、言葉で伝えても、その言葉が不十分でも、それをすぐにリアリティのあるイメージに出来る傾向がある。
だから直ぐに行動として表せる。
わかりづらい画で説明したとしても、それをわかりやすい画、つまり行動しやすい画に変換できちゃう。
脳内で。

ではその画に変換する力はどのように養われるのだろうか。

きっといろんな経験がその力に関わっているのだと思う。
言葉としての知識、画としての記憶、それらが豊富にあって、普段からそれらを紐付けるような習慣がある人ほど、画に変換する力が養われるのだろう。
たぶん言葉か画のどちらかだけだとそうはならない。


学校生活を中心に言葉で学ぶことが習慣化しているが、画で学ぶということももっと見つめ直しても良いかもしれない。
「百聞は一見にしかず」とはとても真理。

赤ちゃんは、言葉と画だけでなく、味やら触感やらもっと多くのものから同時に情報を得て学んでいるけど。
いや、それは赤ちゃんだけに限った話ではないか。
言葉だけで学ぶというのは、とても遠回りな学び方なのかもしれない。



終わり

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