ブラジルと日本における育成年代サッカーの違い

Youtubeの「那須大亮 / Daisuke Nasu」チャンネルで、ブラジルサッカーに挑戦というシリーズがあり、それを見て「ここは日本の育成年代とは違うな〜」と思ったことを。感想文と仮説的な内容。
筆者も昔少しブラジルに滞在していたことがあり、その時の体験からの知識も含め。

↓このシリーズ



ブラジルはいつでも選手が入れ替わる環境

ブラジルのクラブでは、練習生(トライアウト)やスカウトが連れてきた選手などがシーズンの途中でも急にやってくるし、AB的な立ち位置も日々入れ替わる環境な様子。

日本のクラブでは、入ったら3年間そこで過ごす、ABは分けられたらほぼそのまま、が一般的な環境と言えると思う。

日本は、進学時に一発(短期)テスト方式、選手数がお金、という仕組みが主流なので、途中で移籍したりすることは無くはないけどかなり珍しいし、AB的な分け方も実力差がけっこう大きいからあまり入れ替わらないのは当然の結果。

一方ブラジルでは、中学生年代ぐらいでもお小遣い程度の給料や飲食や寝床の提供などがあったりして、選手は早くもプロのような環境に身を置くと同時に、お金を払っているクラブとしてはより良い選手を抱えられるように日常から厳しい目で選手を品定めしているため、そのレベル帯に合った選手で常に入れ替えが発生する環境。

学業では、アメリカの大学は「入るのは簡単だが、出るのは難しい」けど日本の大学は逆、みたいなことを言われたりするが、サッカーにおいては日本は「入るのは難しいが、出るのは簡単」でブラジルは「入るのはある程度の実力があればチャンスはあるが、出る時は良いか悪いかのどちらか」みたいになるのだろうか。

ではそのブラジルの環境ではプレーや生活にどんな影響が出るだろうか。

まず、いつ切られるかわからないので、調子は落とせない。
自己管理は徹底するし、徹底できない選手はよほどの天才じゃない限り悪い意味でクラブを去ることになる。
また、たとえ調子が悪くても、言い訳せず結果を出す、いや出し続けるしかない環境とも言える。
入れ替わりがいつでもあるというのは、クラブスタッフだけでなく、他クラブのスカウトも見ている環境でもあるので、せっかくスカウトが来ている状況であれば、どんなに調子が悪くても最高の結果を出すしかない。
というか、それをやり続けられた選手達がブラジルのトップ層にいるのだと考えれる。
「勝負強い」は、「どんな状態でも結果を出す」という強い意志の元に試行錯誤して実体験を繰り返した末に身につくものなのかもしれない。

筆者の肌感覚では、ブラジルはコミュニケーションはウェットだが評価はドライ、という印象がある。
だから日々の練習を頑張っていようと、どんなに周りと仲良くしていようと、試合で結果を出せない選手は、選手としては評価されない。
当然のように思えるが、日本では割と評価に私情が持ち込まれている印象があり、評価がウエットではないだろうか。ここも違いと言えると思っている。

筆者の嫌いなプレーというか考え方で「打たなきゃ入らない」がある。
この言葉を免罪符に、期待値がほぼゼロのようなシュートを打ちまくり、周囲もそれを良しとしがちな傾向が日本にはあると思っている。
「シュートで終わったからOK」など、そんな言葉に甘えすぎ。と毒付いてみる。
評価はドライなブラジルでそれをやったとすると、ただのシュートが下手なやつになり、パスが来なくなるだけだ。
ブラジルでは「シュートは一発必中で入れるもの」であり、たとえ入りそうもない状況でも、打つからにはどうにか入れようとする。
なぜならブラジルではいつでも入れ替えがある環境なので、いつくるかわからない次のチャンスをのんびりと何度も待ってはいられなく、今そこにあるチャンスをモノにしなくてはならないからだ。
決定力の差とは、そういう環境の違いから生まれるメンタルの違いもあるように思える。

ちなみに。
その決定力につながる「シュートを打つ時の心構え」的なことについて。
ミニゲームを普通にやってしばらくした後に、「ゴールは3点、シュートが入らなかったらマイナス1点」というルールを追加すると、だいたいはルール追加前に比べてシュート数が激減する。
もし激減したら、いかに普段のシュートに「決める!」という気持ちも「チームのボールをシュートする」という責任感も無く「入ったらいいな」程度の緩い気持ちでチームの損失も考えず無責任に打ちまくっていたかがわかる。
「打たなきゃ入らない」と言っても打てる数は有限なので、無責任なシュートは控えなければならない。
自チームの決定力低いと思ったら、是非上記のようなルールを試してみて欲しい。
決定力の低さの要因の一つがわかるかもしれない。


ブラジルは即興でチームを組む機会が多い

那須チャンネルでも見られるが、ブラジルでは「ちょっとそこにいるやつ」同士でチームを組んでゲームをやる機会が多い。
サッカーができる場所がたくさんあってそこが開放されているからこそでもあり、それだけサッカーが文化として根付いているからでもある。
「遊ぼうぜ!」=サッカー、のレベルでサッカーが身近にあるんだと思う。

日本ではやっぱり場所がない。
だから習い事としてクラブやスクールに所属して、そこの中でチームを組むぐらいの即興性しか生まれないことが多い。
大人になると日時と場所を決めて集まって〜とやることはあっても、子供達はなかなかそうは行かない。
謎に広いくせにボールを蹴れない公園とかも増えてるし、とはいえボールが蹴れる公園でサッカーボールを持っている者同士が集まっていても黙々と1人でボールを蹴っているのも珍しくはない。
「即興でチームを組んでゲーム」は、日本ではやっぱり珍しい光景だと思う。

さて、ではその「即興でチームを組む」はサッカーにどんな影響があるだろうか。

やっぱり「プレーから情報を汲み取る力」は育まれると思う。
チーム戦術的な共通認識も、選手それぞれの癖や好みや強み弱みの情報も、試合が始まるまで一切ない状態でいきなり始まる。
そういう場合はどうなるかというと、プレーをしながら情報を読み取っていくことになる。
「あいつ早いな」とか「あそこの1対1は勝てるな」とか「あいつこういうボール欲しいんだ」などなど、試合を有利にするための情報が試合時間と共に集まってくる。
これらは脳内で言葉にするというよりも、そうやって感じ取るイメージの方が、筆者の感覚に近い。他の人は知らないけど。

よくある「パスに意図込める」なんてプレーも自然と行う。
そこにメッセージを込めないと、いちいち説明なんてしてられないから。
守備もボールに行っている味方に合わせて調整するし、その試合において締めなきゃいけないところも感じ取ってその場で優先順位を決めて捨てるところは捨てる。
こういう感覚は磨かれていくと思う。
ミニゲームをやりまくった筆者の体験談。

情報を汲み取る力がつくということは、力量差も即時に判断できるようになるし、試合にチームとして適応していく力も身についていく。
つまり初見に強くなる。
それと、コンディションの問題などで、自分や味方が発揮できない時の対応も上達する。
力量差がある中での問題解決を学んでいるから。
先日、自スクールの攻撃的な選手が、その日はどうしてもシュートが入らなすぎて「なんか俺調子悪いや」と落ち込んでいたので「調子が悪い日は必ずあるから、その時は調子が悪いなりに出来ることを探すようにするんだよ。調子が悪るくても試合はやるんだからね。」と伝えたら「そっか。じゃあ俺もっと走ってボール奪ってパスしてみる!」と自分なりの方法を考えてその後はポジティブに取り組んでいた。
こういうメンタルを自然と持っているかどうかは、そういう経験が多いかどうかが影響すると思う。

ちなみに、よく「格上とやるのは上達するけど、格下とやっても意味がない」みたいなことを言う人がいるけど、実はそんなことはない。
自チームにレベルが劣る選手がいれば、より繊細に計算されたパスやカバーを要求されるし、相手にレベルが劣る選手がいれば、ちょっと言い方は悪いけど”動くコーン”のような練習相手になる(格上相手だとスキルを発揮する前に潰されることもある)。
そういう経験値も「即興ゲーム」だと手に入る。

ただデメリットとして、筆者が知っている範囲では、即興ゲームをする際にブラジルでは「でかいやつはCBまたはGK」と決められる傾向がある。
ゲームをしていく内に変わっていくことはあるが、そうやってポジションが固定していくのはデメリットな気がする。
(だからブラジルで小さいCBってあんまりいない印象があるし、逆にでかいFWもあんまりいない印象)


ブラジルはいろんな場所でサッカーボールと遊ぶ

見出しの通り、ブラジルでは至る所でサッカーボールで遊んでいる光景を目にする。
路上、ビーチ、なんかは想像できるだろうが、バーで酔っ払いの太ったおじさんが2人でリフティングでパス交換をしていたのも見たことがある。
足元の状態が不安定な中(狭い道で階段があるところだったりも)で、さらに裸足でやっていたり。
とにかくその辺で遊ぶ。

そんな環境で得られるであろうスキルは、もうあちこちで言われているだろうからご想像の通り。
ただメンタル的な影響もあると思っている。

まずその環境では「教えてもらう」が無い。
だいたいは「自分で見て、やってみたくてやってみる」だ。
サッカーを教えてもらいに行くんじゃない。
自分がやる。
ここから始まっているのは日本との大きな違いだと思っている。

日本ではドリやリフティングの技をいろいろと教える光景をよく目にするが、ブラジルではそれを見かけることはない。
日本で多く見られるようにコーチが「今日はこれを教えます」で教えるのではなく、ブラジルではまず実際に上手い人などのプレーを見てそれを真似てみるところから始める。
リフティングでのパス交換やサッカーバレーなんかも、リフティングが上手になってからやるのではなく、小さい子なんかは大人と一緒にパス交換をやってみるところからいきなり始めていたのを見たことがある。

教えてもらっていないのに、ブラジルではその辺のおじさん達からシュッとしたモデルに至るまでドリテクやリフティング技が優れているのを見ると、「サッカーが当たり前で、自身の好奇心で自らやっている」という感覚を常に持っているのは大きいと思う。


ブラジルはサッカーを生活のためにやる

これは最も大きな違いかもしれない。
サッカーはお金を払ってやらせてもらう日本、に対して、サッカーはお金をもらうためにやるブラジル、である。
もちろん両国とも大人になってから趣味でやるサッカーはお金を払って場所などを確保してやることにはなるだろうけど、育成年代は上記のような違いがある。

ブラジルのクラブでは、スカウトや練習生からステップアップして本契約に至れば、中学生年代でもお小遣い程度とはいえ給料が出る。
寮で衣食住が提供されることで「家族を助けることができる」と言って居場所を守りながら、よりステップアップできるようにストイックに自分を律している13歳もいた、というかそういう選手は珍しくなかった。

サッカー自体を娯楽として愛していながらも、弱肉強食の殺伐とした世界でサッカーをやり続けることも当たり前にしている。
時にプレッシャーに負けて居場所だけ守れてればいいや〜ぐらいの気持ちで、ドラッグなどの悪さに手を出す選手もいた。
でも多くの選手はそうではなく、日々自分を磨き続ける。
遊びでサッカーバレーなどをしていても、コーチ達がそれを見ていたら調子の良さをアピールする。
持久走的なトレーニングでも、当たり前のように全力疾走して、その後に疲れていないアピールのために、膝に手を当てたりせず腕立てを始めたり。
生き残るためにとにかく必死だった。
月謝を払って問題さえ起こさなければ居られる環境とは訳が違う。
人生の消耗も激しそうだけど、生き残った選手達が強いのは言うまでもない。
ブラジルが常にハイレベルな選手を輩出する要因の中でも、かなり大きな要因なのではないかと推測している。



以上。
この記事は、別に「日本はダメだ!ブラジルを目指そうぜ!」って言いたいわけではない。
どっちかって言うと「ブラジルってこんなとこだぜ」を言いたい記事。
そもそもブラジルをそのまま目指すのは無理すぎる。環境が違いすぎるから。
日本が物足りないと思っている人は「日本が悪い」にせず、「日本の環境だとどうするべきか」と思考を変えるしかない。
今の日本だって実際にビッグクラブでプレーする選手を出しているんだから、「強豪国になりたい」という方向なら案外進んでいるのかもしれない。
ただ、アフリカ勢は随分昔からビッグクラブでプレーする個人を輩出しているけど、今だに強豪国にはなりえていないけど。
その辺は、ブラジルよりアフリカの国からの方が学べるのかもね。


おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?