EGPA闘病の記録①/血管炎(EGPA)と発覚するまで

※長文です。
EGPAは血管炎になる前に色々な症状が出るようだ。

私の場合は以下の症状で進行していたらしい。

  • 5年前に喘息を発症し、治療中(大人喘息)

  • 2年前に副鼻腔炎で耳鼻科に通っていたが何度も再発し、手術したほうが良いとの事で大きい病院へ。慢性副鼻腔炎と診断され、今年6月に手術。手術の際の病理検査で、好酸球性副鼻腔炎の基準値には満たないものの、好酸球の値が高いと医師から告げられる。(この事がEGPAと診断するのに参考になったとリウマチ内科の医師から伺った)

  • 今年9月に喘息+気管支炎+肺炎(初期)による呼吸状態が悪化し、4日間入院。

  • 今年10月、紫斑が右足の脛に出現。4日間で両足の膝から下が紫斑と水ぶくれ(血溜まり)で埋め尽くされる。この時、肺炎は治っているのに発熱と寒気が酷かったことを覚えている。4日間経過した時点で床からの立ち上がり時に掴む場所がないと自力では立たない状態になっていた。

ここからは肺炎がまだ治っていないとの事で、抗生剤を飲み4日が経過した頃から、血管炎の可能性があると告げられ、大学病院を受診する前日までの流れを記載する。

10/4(水)あたりから38度超えの発熱で動けなくなる時間が夜から昼に変化してきていた。午前中だけ在宅勤務で仕事して午後は休ませてもらう日が続いたが、肺炎の特徴である「夜に高熱」のパターンでは無くなっていることに不安を覚えた。また、発熱と寒気で動けないこと、食欲低下してゼリー等しか食べられないことにも、このままでは治らないのではないか、と不安を覚えた。
10/4(水)の夜、最初の紫色の発疹が右足の脛に1つ現れた事に気づいた。紫色の水ぶくれができており、色と水疱(紫だが)から、私は「とびひ」かもしれないと思いながら、水疱を潰して絆創膏を貼る処置をした。

10/5(木)、午前中は在宅勤務し、ゼリーと薬を飲んだ後はすぐに横になった。発熱と寒気で動けないためだ。夜に右足の脛を確認したところ、水疱のようなものは無いが、紫色の発疹が絆創膏の周囲に小さく点在していた。また、左足の脛にも同様に紫色の紫斑が出現していた。私は「とびひ」の処置を誤り、範囲を広げてしまったと考えた。その日は、同居する家族にうつらないように包帯を巻いて過ごした。肺炎で入院していた時、抗生剤の点滴を入れて貰っている間に小さな赤い発疹が幾つかでてきた事があったため、この日から足の発疹の状態を日々、スマホで写真を残した。(この写真は後にリウマチ内科の医師たちに見てもらえ、迅速な治療開始へ繋がったと思う)

10/6(金)、午前中に在宅勤務をしていたが、12時になる頃には発熱と寒気が増しており、フラフラの状態となる。日々の発熱と寒気、倦怠感に限界を感じたため、抗生剤は飲み切っていないが、肺炎で受診していた呼吸器科へ向かうことにした。
呼吸器科でコロナとインフルの検査をし、いずれも陰性だった。レントゲンを撮った結果、肺炎は治っているとの事だった。では何故、まだ発熱と寒気はあるのか、呼吸器科の医師は判断できないようだった。ひとまず解熱剤(カロナール)を処方してもらった。ネットで紫色の発疹で検索した時に、とびひだけではなく紫斑や血管炎というワードが出てきていたため、一応、呼吸器科の先生に右足の脛の紫色の発疹を見ていただいたが、皮膚科に行った方が良いとの回答だった。専門外の事だから当然の回答である。
呼吸器科の近くにある皮膚科へ移動し、診察を受けた。医師からは紫色の発疹をみて「とびひ」と判断され、とびひに効く軟膏を出して貰った。その際、お薬手帳を見せており、既に抗生剤を服用しているから、頓服での抗生剤は出さないとの事だった。
この時、私はマイコプラズマ肺炎用に処方された抗生剤を飲みつづけて6日目だった。抗生剤を飲んでいるのに、発疹が悪化したのは何故なのか疑問に思った。帰宅後は処方された軟膏を塗り、家族にうつらないようにハイソックスを履いた。
そして、夜、お風呂に入ろうと思いハイソックスを脱いだところ紫色の発疹の範囲が広がり、数もかなり増えていた。右足はむくみがあり、特に足首以下が浮腫んでいる。紫色の発疹は、軟膏を塗りハイソックスを履いたことで「とびひ」が広がったのかと思った。だが、「とびひ」にしては最初の1箇所を除いて水疱がない。子供の頃に罹った時のとびひとは異なる気がした。ネットで「紫 発疹」なとで検査すると、とびひもあるが血管炎の画像もあった。血管炎による紫斑の可能性があるのではと、この時少し思った。その日はお風呂から出た後に軟膏を塗り直し、包帯を巻いて就寝した。

10/7(土)、朝には左足を引き摺って歩くことしかできなくなっていた。左足首の付け根に大きいもので横4cm、縦3cm、高さ1cm程度の紫色の水疱が貼り付いていた。これは絶対とびひではないと思った。紫斑ではないかと考え、近所の内科兼皮膚科のクリニックを受診した。内科兼皮膚科の医師は私の足の状態を診るなりすぐ「血管炎の可能性がある」と深刻な顔をして私に告げた。「大学病院への紹介状を書くから、大学病院を受診すること。軽く考えない方がいい。入院になると思う」と私に伝え、その場で紹介状を書いてくださった。(一目診るなりの判断だった。この時の迅速かつ的確な診断に大変感謝している)
ただし、この時は3連休で大学病院は土日月(祝日)は皮膚科が不在で対応できないため、祝日明けの火曜に大学病院の皮膚科を受診するように内科兼皮膚科の医師に指示された。また、お薬手帳にはクラリスロマイシンやビラノア、モンテルカストなど色々な薬を飲んでいる事が記載されている。これらを見て内科兼皮膚科の医師は、薬剤性の可能性もあるため、テリルジー(吸入薬)とカロナール以外の薬は使わないように指示を受けた。
帰宅後、紫色の水疱は破裂させたほうが良いのか判断に困り、健康相談ダイヤルへ電話してみた。担当の方はガーゼなどで保護し、極力割れないようにしたほうが良いとの事だった。幸い、ガーゼと包帯はあったので足の甲から脛あたりまでガーゼと包帯で保護した。(足の甲と脛にも紫色の水疱ができていた)
夜、左足の紫色の水疱の数と大きさが増えている。さらに左足首にも紫色の水疱ができている。膝から下の3分の1は紫斑で覆われている。むくみも酷く、膝から下はパンパンになっていたと思う。

10/8(日)〜10/9(月)、発熱と寒気と倦怠感でひたすら横になっていた。途中、手持ちのパルスオキシメーターの値が92とか89とか見たことがない値を叩き出したため、焦った。唐突に喘息発作が起きた時に使うメプチンエアーの存在を思い出し、使用した。パルスオキシメーターの値が92まで回復したが、このまま連休を過ごすことが不安で仕方なくなり、夜間救急へ向かった。ギリギリ受付時間に間に合ったのだが、コロナの検査をされる前に「既に別の病院で肺炎と言われていて…」と告げたところ、「何しに来たの?」と言われてしまった。「息がくるしいから来たんですけど…」と伝えたが、直前にメプチンエアーを使っていたためか、パルスオキシメーターは95を超えていたようだ。(効くのに時間がかかるのは知らなかったのだ)
夜間救急の医師からは「苦しいと思うけど、連休明けたら肺炎と診断受けた病院に行ってね」という事で診察は終了した。
あとから考えたが、私は一次救急のほうに来ていたため、既に診断が出ている私に対しては特にする事が無かったのだと思う。呼吸状態もパルスオキシメーター的には95を超えていたので、問題ないと判断されたようだ。
連休の間は呼吸状態が悪化した際にはメプチンエアーを使用した。処方された時の上限を超えない程度の使用頻度で良かったと思う。健康相談ダイヤルに電話した際に、上限超えても苦しい場合は輪番の病院に行って良いと言われていた。
私の呼吸状態や具合の悪さを心配した主人が、輪番の病院に電話してくれたりもしたが、血管炎の可能性があると伝えると専門外だから対症療法だけして帰ることになると思うとのお返事だった。血管炎がそれほど特殊な病気であることをその時に初めて痛感した。
結局、どこの病院にも行けず、自宅でひたすら横になって過ごした。薬剤性の可能性も捨てきれないとの事だったので、カロナールは極力使わないようにしたが、カロナールが無いと食欲も出ない状態のため、時々使用した。
左足首も右足首も紫斑による水疱が複数あり、脛にも水疱ができていた。足はどこかに捕まらないと床に敷いた布団からは立ち上がれない状態になっていた。特に左足の足首を上げられない。(既に感覚が無くなりつつあったのだと思う。もしかしたら足首から先は既に動かなかったのかもしれない)
左足を引き摺りながらなんとかトイレまでは行けたが、手摺のないトイレであったため、ドアノブとペーパーホルダーを掴んで座ったり立ったりした。お風呂は捕まる場所が少なく危険なため諦めた。


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