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褒めることが怖い


昔から、人を褒めることが苦手だった。

なぜなら、褒められることが苦手だから。


小学生の時、いい感じの作文が書けて、先生が褒めてくれた。

ここがよくなったね、どうしてこう思ったの?それはいい考えだね

そう言ってもらえて、うれしかった。


中学生の時、習っていたダンススクールのすごい上手だったお姉ちゃんみたいな子に

たくさん練習してきたでしょ?わかるよ、頑張ってるね

って言ってもらった。これもうれしかった。


高校生の時、ダンス部に入った。
思い込みかもしれないけど、正直自分の方がダンスうまいなと思っていた先輩がいた。

褒められた。

全くうれしくなかった。

むしろ、嫌だった。


そのとき、自分の過去を思い出すと同じ経験が蘇った。

小学生の時、友達にサッカーうまくなったよなって言われた。

中学生の時、陸上部で後輩に、前よりうまくハードル跳べてますねって言われた。

うれしいというより、悔しかった。


あくまで自分の感じ方だけど、自分の中で、褒めることは自分より上の人に言われるからうれしくて、自分が勝手に自分と同じか下だと思っている人に言われると納得できないことに気がついた。


だから、人を褒められなくなった。

小さい子には、絵描くの上手になったねって言える。

でも、同じくらいの人に、上手になったね、なんて言えない。


そこに、上下関係をつけてしまいそうになることが怖い。


かるーく、前よりうまくなったんじゃね?みたいなことしか言えない。

正面から本気で褒めることは、できないし、褒められてうれしいと無条件に感じられない。


そして、今後もたぶんそのまま。


ほかの人から見れば、変えるべき考えなのかもしれない。


でも、これはこれで気に入ってる自分の考え。

褒められると結構舞い上がるタイプだから、褒められてもうれしくないときは悔しさのバネに変わるから、案外便利。

まだまだ頑張ろうって思える。

だから、このまま変えないでいくつもり。


だから、人のこともたぶんうまく褒められない。


でも、これは、少し自分の考え方が偏っているんじゃないかと思い始めたのが最近。

だって、このままだと、自分が思ったことを伝えずに終わっちゃうだけで、相手には何も与えられないから。

だから、いいなとか素敵だなって思ったことは、そのまま伝える。

ここがわかりやすかった、とか、これいいから自分も取り入れる、とか


ニュアンスの違いだけで、実際相手には褒めるとなんら変わっていないかもしれないけど、

それを受けて自分がどうするか、自分がどう思ったかを素直に伝えることにしている。



頑固な自分の小さな小さなこだわりでした。


おわり。







サポートしてもらったことないから、してほしいな