円舞曲を踊ろう。
豪華客船が大きな音を鳴らしながら揺れている。
氷塊にぶつかった衝撃で甲板や外装が破壊され、大きく空いた穴から大量の水が流れ込んでくる。
もう時期、この船は沈没するのだろう。と、私は半ば諦めたような気持ちでその場に立ちすくんでいた。
私の横にいる男は、初めて会った時からずっと同じような微笑みを湛えている。
漆黒のタキシードに身を包み、嫌味に横へと髪を流したセットをしているこの男はどうも好きになれない。
「なあ、どうせ沈むんだから一緒にワルツを踊らないか?」
「厭よ、あんたと踊るなんて絶対に厭!」
「そんなこと言わずに、ねえ」
私の手を取ろうとする男は、口角を下げないまま、ふふ、と声を零す。
「やめてちょうだい、あんたと私は今日あったばっかりじゃない。なんでそこまで執着するの?」
「最期くらい、美しく散っていきたいじゃないか」
まるで会話になっていない。寄ってくる堅い手を振りほどくと、男の表情が一瞬だけ崩れたが、彼はさっと手を引いて、また変わらぬ笑みを作る。
「ねえ、あんたも逃げたらどうなの?」
「逃げないよ、君をここに残しては行けない」
その時、船が大きく揺れ、シャンデリアが天井から墜落する。瞬間、硝子の破片が辺りへ飛び散っていく。
「いたっ!」
私が着ているドレスのスカートからのぞいた脚に、飛んできた硝子が肌を掠めていった。
白い絨毯に紅い血が染まっていく。
「ほら、早く踊ろう。夜が明けるまで」
「もう私たちに朝なんて来ないのよ」
「そんな、僕たちはボニー&クライドかい?」
「なによ、それ」
古い歌を口ずさみながら、彼はハンカチーフを胸ポケットから取り出し、その場に膝をつくと、それを私の脚に巻き付けて応急処置を施した。
「なによ、どういうつもり?」
「君の綺麗な脚に傷が残ってしまうよ」
「どうせ死ぬのに!」
船が大きく傾き、さらに音を立てて水が侵入してくる。
「ねえ、早く踊らないと」
「……わかったわよ」
私はスカートの裾を貴族のように掴んだ。男は私の手を取って、優雅にステップを踏む。
この空間にはきっと、華麗なる大円舞曲が流れている。
私たちは二人でショパンを口ずさみ、しなやかな踊りを続ける。この船が完全に沈んだ時、私たちのワルツは終わりを迎えるだろう。