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2010年7月15日の君へ

13年前の7月15日、その日はV系シーンに激震が走った。
ex.蜉蝣、the studs、大佑と黒の隠者達のフロントマンを務める「大佑」氏が亡くなった日だ。
Fatimaの時からV系の前線を走っていた彼の突然の死は多くのファン、そしてバンドマンに衝撃をあたえた。無論、僕もその一人であった。

はじめて音楽プレイヤーをもらった日はよく覚えている。幼稚園の頃、兄のお下がりのiPodをもらい、四六時中それをずっと肌身離さず、寝る時でさえ音楽を聴きながらよく眠りについた。その時によく聴いていたのは「MERRY」「Plastic Tree」「黒夢(SADS、清春さん名義)」、「Raphael」「蜉蝣」などの数々の時代を彩ったV系を来る日も来る日も聴き続け、幼い僕がバンドマンを志すのにはそう時間はかからなかった。なんとなく、音楽をやりたいという気持ちが次第に「バンドをやって、人に夢と希望を与えられるようになりたい」という明確な意思へと変わっていった。MERRYのネロさんと、Fatima時代の大佑さんに憧れ、小学校に上がる頃にドラムを叩きはじめ、三年生にあがるころにはステージで演奏できるほどの器量を持ち合わせていた。

2013年当時のシオン

一時はドラムを離れ、高校へ進学してしばらくしてから僕の興味はギターへ移った。
次男がかつてギターを弾いてきたのを幼いながら見ていて、どこかギタリストへの憧れがあったのかもしれない。
その時はV系から一時的に離れ、邦ロックや洋楽に傾倒し、syrup16gやNUMBER GIRL、ART-SCHOOLやRadioheadなどに影響を受けた。情報だけを追っていた当時の僕をV系に引き戻したのは、MERRYの健一さんが脱退するというニュースを見てからだった。
ずっと憧れを抱き続けてきたバンドのギタリストが脱退する、という衝撃の内容は「このままではいられない」と身悶えさせた。そして高校二年生の夏、僕はギターだけを持って単身で上京し、すぐにバンドメンバーを探した。が、この時代にV系バンドを0から始めたいという学生はいなかった、という事実に気づく。待てど暮らせど一向にV系志望のメンバーは集わず、諦めてネットで募集した人と共に普通の邦ロックバンドを始めることにした。

邦ロックバンド時代の高校生のシオン

しかし、結局は方向性の違いでバンドは解散し、そこからの一年はただひとりでひたすら音楽と向き合い続けた。
そして2023年の三月、この日はじめてギタリストとしてステージに立つ。V系のセッションバンドマンとして、初のステージングだった。
この時、僕は2023年は激動の年になる、と予感した。その後は高校を卒業し、月に一度か二度のペースでライブに参加を繰り返す中で他の演奏者はどういう立ち回りやパフォーマンスをしているのかを実際に見て、時にはライブに赴きプロの演奏を今一度見つめ直したりなどして、経験を積んでいる最中で、まだまだ足りないところは多々ある。
かつての僕が、今の僕を見たらどう思うだろうか?  変わっているように見えるだろうか、それとも、順調そうに見えるだろうか。
なんにせよ、自分の夢を叶えるための課題は山積みで、一つ一つ周りの協力を得ながら打開していくつもりだ。

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