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瞑想練習の終わりは始まりの合図

日常で瞑想を継続する 「ポストメディテーション」について

「瞑想する」というと、日常とは切り離された「特別な時間を過ごすものだ」いう誤解がよくある。
もし日常と瞑想で過ごす時間が切り分けされているのならば、瞑想の恩恵は限定的なものになるだろう。
つまり、瞑想が日常から逃れるための気分転換や、リラクゼーションのようなものならば、一時凌ぎのアプローチだ。

そこで日常で瞑想を継続するということ=「ポストメディテーション」が重要なポイントになる。
つまり日常と瞑想が切り分けられていないということだ。
坐っているように日常を過ごし、日常を過ごすように坐る。
日常と練習の境目がどんどん曖昧になっていく。それでOKなのだ。

次第に日常のあらゆる状況である種のよさを経験するようになる。

日々の練習で培った力を日常生活でも適用する

しかし、残念なことに日常から練習を始めることはできない。それはバスケの試合にドリブルができないのに出場しようとするようなもの。

練習を続ける→
洞察力や、落ち着き、回復力が磨かれる→
そして日常でも同じことが起こる。
この順番なのだ。

練習なしにどんなに日常で行動や言動に気をつけたとしても、コントロールすることは非常に難しい。予想外な出来事に、イライラしたり、焦ったり、怒ったり、妬んだり、悲しんだり。気がついた時には、言わなくても良い言葉が口から漏れたり、認識違いにより誤った判断や行動をしているものだ。

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