見出し画像

楽しい、嬉しい、幸せ、満たされているにも実は注意点があるということ

仏教においての六道について学んだこと感じたこと思ったことをつらつらと。今日も天道について。

六道からみる、自分の行動を決める6つ内的パターン

Awakening From The Daydream: Reimagining The Buddha’s Wheel Of Life

個人的にはどちらかといえばネガティブな性分なので、天道の領域、何かに楽しみ、喜びをただ味わうということが結構苦手なタイプだなあと思いながら、天道について考えてみている。

何かを楽しむ前に、やるべきことをやっておきたいし(ただし終わることはない笑)気がついたら、努力や苦労が美徳で、誰かの犠牲になったりとか、自分のことはほっておいて他人のことに時間を優先する方が正しいとか、人の役にたっていると嬉しいとか、みたいな固定観念がどこか根底にあるのかもしれない。

単純に楽しむことへの罪悪感というか、働かざるもの食うべからず的なマインドというか、結局人の為といいつつ、自身の自我の欲求を満たしたいだけだったりする。

とはいえ、喜びを感じたことがないかといえばそんなことは決してない。

日本に住んで、健康で食べる所も寝るところも仕事も家族もいるんだから、この上ない幸せだなあと常々思ってもいる。

欲しいアイテムが手に入った時、些細な会話にやすらぎを感じたり、仕事がうまくいった時の高揚感と達成感。飼い犬の散歩中、テンション上がった顔を見るとこちらも楽しくなるし、気持ちのいいカフェで心地よい日差しとコーヒーを味わう時間はたまらない。

「ああこの時間がずっと続いて欲しい、、、。」

ここに留まることがずっとできればいいのになあ、というのが天道に対する自然な感覚だと思う。そして多くの人がこの楽しい状況や心境を継続することが大切なんだと考えるんじゃないだろうか。

ただ、仏教の教えではここにも注意点が潜んでいることを指摘している。

それは、楽しい状況は一時的なものだということを理解しておかないと、その状況がなくなったときに結構厄介だということ。天道には、そこに留まりたいという愛着が発生しやすいからだ。

もちろん楽しい状況や幸せな気分自体は悪いことではないし、それが移り変わっていくことも決して悪いことではない。ただ、その状況に対する愛着が執着になった時に問題が発生してくる、と仏教では指摘している。

手放すことに苦痛が発生するのだ。

例えば、大好きな彼氏や彼女に突然振られてしまう。それが原因で落ち込んだり、それを何週間も引きずったりする。まさに天国から地獄に落とされるような経験。

まさに状況、人間関係、ありとあらゆることが移り変わっていくということが苦しみの性質としてあるということ。「無常」これを理解していないと楽しい状況からの離脱は激しい苦痛を伴うことになる。

しかし、天道の世界では喜びの経験に基づいて、自分らしさとかライフスタイルを形づくっていく。そして不快なもの、不安をあおるもの、失望させるものをなるべくさけるように積極的に努力する。その効果的な方法は見ないことにすることだ。無関心。無知を育てていくことが天道をキープするために必要なことなのだ。(つづく)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?