掌編『たまごが先』
たまごが先
チュンチュン。
朝めざめるとスズメの鳴き声が聞こえた。頭がズキズキと痛む。昨夜は飲みすぎたようだ。うつぶせに布団をかぶっていたが、喉が渇いて上半身を起こした。
「さむい」
傍らの裸体が寝ぼけ眼でつぶやいた。細い肩をキュッとちぢめ、腕に挟まれた乳の谷間にくっきりと線ができる。谷間に指を突っ込むと、サキコは「えっち」と顔をあげた。
サキコ、であっているはずだ。サキコのスッピンを見るのは初めてだが、似ているから多分そうだ。
はて、なぜサキコがここにいるのか。しかも裸体で。布団を少々持ち上げて奥をのぞきこむと繁みが見えた。やはり裸だ。生まれたままのすっぽんぽんだ。
果たして、サキコとおれは昨夜何をどうしてどうなったのか。考えるのが面倒だ。きっとしたのだろう。したのだ。無念。おぼえていない。「したのか」と訊ねるわけにもいかない。
「サキコ」
「なに?」
「しようか」
サキコがにやりと悪女めいた笑みを浮かべた。サキコはあんあん言って、スズメはチュンチュン鳴いた。頭のズキズキは治まった。
ことを終えて、おれはようやくここが我が家でないことに気づいた。パンツをはいたサキコが冷蔵庫を開けた。
「たまごかけご飯、食べる?」
ぐぅ、と腹が鳴った。サキコは二人分の卵と白飯、醤油を卓袱台に運んできた。箸立てには二膳の箸と黒の名前ペンがあった。
「たまごにはペンだよ」
きゅぽんとキャップを外したサキコは、卵にサラサラと描きつける。印籠のように掲げてみせた卵には、「ののしへ」の文字が「目目鼻口」の配置で描かれていた。眉の位置には毛虫が二匹いる。
「そのゲジゲジ眉毛は部長みたいだね。への字口もそっくりだ」
「いつもネチネチうるさいの。昨日の飲み会でもそう。だからこうしてやる」
サキコは「ののしへ部長」の顔面を卓袱台にぶつけ、器に割り入れた。部長の顔はヒビだらけだ。サキコは「いい気味」と笑った。カラザを取り除き、グチャグチャと箸で卵液をかき混ぜる。自分で食べるのかと思いきや、サキコはおれの前に持ってきた。
昨夜のすき焼きで、サキコが割りほぐした卵を渡してきたのを思い出した。お節介な女だ。いい迷惑だった。おれはすき焼きの卵はかき混ぜない派なのだ。
「あげる」
「部長は食べたくない。胃がムカムカしそうだ」
「そう?」
サキコはもう一つの卵にペンで描きつける。今度は「ののしし」で口が笑っていた。ちびまる子ちゃんみたいな短い前髪をしている。
「サキコに似てる」
「うん、あたし。食べて」
「もう食べたよ」
「えっち」
サキコはコンコンと卵に軽くヒビを入れた。顔ではなく側頭部だ。殻が割れても「ののししサキコ」の顔はちゃんと残っていた。
「なんだかおまじないみたいだ」
「おまじない、信じる?」
「そうだね。楽しいかもしれない。『ののしへ』と『ののしし』」
サキコは「ののしへ部長」、おれは「ののししサキコ」でたまごかけご飯をした。そのあとおれはもう一度サキコを食べた。あんあん。
週明け、出勤すると部長が入院していた。庭木の剪定をしていて顔面から落下したらしい。サキコは「心配ね」とまったく心配していない様子で言った。
――end
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