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鬼女紅葉のこと・続き

前回の「鬼女紅葉のこと」の続きです。

以下はエブリスタのエッセイ(現在非公開)に書いた2020年4月26日の記事

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❀前回につづき紅葉狩のおはなし❀

 22日のエッセイで注文していた本が届いたという話をしました。『鬼無里への誘いー蘇る鬼女紅葉ー』(宮澤和穂著/ほおずき書籍)。出版当時長野で公民館長をされてた方のようです。書き出しがエッセイぽくて正直失敗したかな〜と思ったのですが、買ってよかった。


 鬼女紅葉についてわたしは前回「サイコパスでは…」というようなことを書きました。


 人の嫉妬などからなる鬼ではなく「悪」としての鬼。それは常人には理解不能で不安を掻き立てるものでもあるだろうから、後の人が勝手に鬼女の不可解な振る舞いに因果関係を(生い立ちであるとか)を付け加え(でっちあげ)、理解した気になることで安心を得たのではないかと。そんな風に考えたのですが……が!!

 違いました。

 宮澤氏が注目していたのは「鬼無里(きなさ)」という地名です。鬼無里は戸隠山の麓、南西にあたる場所。

 ここはもともと「木那佐」と表記されていて、能曲『紅葉狩』が作られたころも木那佐でした。これがいつ鬼無里に変わったのか、それを解き明かすために書かれたのが『鬼無里への誘い』。

 まず、観世小次郎信光による『紅葉狩』は太平記をもとに作られたと言われています。歴史スペクタクル能…といった感じでしょうか。この『紅葉狩』に登場する鬼女には名前はありません。鬼女紅葉に関する伝説が生まれたのはこの後になります。

 『鬼無里への誘い』によると「鬼無里」という表記が最初に見られたのは1557年の武田信玄直筆の書状。当時、鬼無里(木那佐)は東西南北に通じる交通の要衝で、上杉・武田の攻防戦では重要な場所だったようです。

 鬼無里には戸隠と関わりのある寺院(真言宗)が多くあり、そこを拠点として活動する修験者や密僧の集団を宮澤氏は「戸隠衆」とし、上杉武田の攻防を睨んだ彼らの振る舞いが鬼女紅葉の伝説関わっているのでは、と。

 簡単に言うと、戸隠衆はどっちつかずで、上杉について武田にゲリラ戦をしかけたかと思えば今度は武田方の人間を頼り、今度は上杉の攻撃を受けて逃れ、武田が滅亡した後、上杉景勝の戸隠再興によって戸隠に帰山。あっちについたりこっちについたり、信用できない卑怯者にも見えますね。

 「鬼無里」という言葉を最初に用いたのは武田信玄ですが、1557年の書状に鬼無里の文字がでてきたときは戸隠衆は武田と敵対していた頃。戸隠衆は武田から逃れて越後関山へ。

 武田信玄は猿楽の知識も豊富であったらしく、猿楽師をかかえて小姓や家臣に引き立てていたりしていたので、『紅葉狩』になぞらえて戸隠衆を「鬼」として退治するというような、そういう演出をしたのではないかというのが宮澤氏の言うところです。
 
 ところで鬼女紅葉、鬼無里あたりでは「鬼女」ではなく「貴女」と呼ばれているようです。この「鬼女」と「貴女」の二面性にわたしはサイコパスを感じたわけですが、宮澤氏の戸隠衆の説でこれも説明がつくのです。

 伝説にある貴女の姿は次のようなもの。

正室の嫉妬で都を追われた哀れな女。里人に読み書きや裁縫を教え、琴を奏でる女。薬草や医術の知識を持ち病人を治す女。

 一方、伝説にある鬼女の姿。

荒倉山中を根城に各地に出没して盗みをくり返す女。平維茂と妖術で戦い退治される女。

 武田軍と戦った女性修験者――在家の女性信者を優婆夷(ゆばい)と言ったそうですが、男に混じって戦う姿は目立ちます。それが「鬼女」と重なったのではないかと。

 優婆夷は地方に土着した下級氏族の子孫で、読み書きはできるし医術や薬草の知識もある。勧進(堂塔などを建てるための托鉢)のために周辺地域をまわり(→歪んだ見方をすれば略奪、盗み)、そして戸隠衆とともに武田と戦った。つまり「貴女」であり、「鬼女」である。

 抵抗する戸隠衆なり優婆夷に対して「鬼」のレッテルを貼ってしまうことで、それを退治する側は「善」という図式。鬼=人でなし。鬼を相手にすることで、自らの残虐行為を正当化することができたのかもしれません。

 最近読んだ本のなかに、戦時下において司令官がその場からいなくなると銃撃の割合は15〜20%に低下するというようなことが書いてありました(『良心をもたない人たち』マーサ・スタウト)。


 本当は殺したくない、というのが多くの人の感覚なのだと思います。

 あれは人ではなく鬼なのだから殺してもいい、退治すべき存在なのだと、そうすることで武田信玄は軍の士気を高めようとしたのでしょうか。


 ということで冒頭に書いた「常人には理解不能で不安を掻き立てるものでもあるだろうから、後の人が勝手に鬼女の不可解な振る舞いに因果関係をでっちあげ、理解した気になることで安心を得たのではないか」というわたしの予想はどうやら違ったようです。

 かといって鬼女紅葉からはじまったサイコパスへの興味は今さら止められません。なにに惹かれているのかといえばその不可解さ。

 鬼女=優婆夷であればその二面性は説明がつきますが、伝説の鬼女紅葉はその二面性をひとつの体に抱えているわけですから、鬼女紅葉はやはり不可解なのです。わからないから惹きつけられる。
 
 ということでたぶん次回はサイコパスの話かな〜。


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以上2020年4月26日の記事でした。


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