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掌編『りんりんりん』

イラストはCopilotによるAI画です。
2017年に書いた掌編を発掘してきました。


りんりんりん

 あの時はね、怖いっていうよりも、ああやっと解放されるって思ったのよ。

 隣りに座る女の子は、そんなふうに言ってため息をつき、手を伸ばして僕の目の前にあるフライドポテトを3本抜きとった。それをまとめて口の中に突っ込み、窓の外に目をやったままモグモグと頬を動かしている。
 
 郊外にあるショッピングモール、そのなかにあるファーストフード店、の二階にある窓向きのカウンター。深夜0時前。そこに僕と彼女は隣り合って座っている。

 左右に人影はない。

 背後からも人の声はしない。

 一階から、自動ドアの開く音が聞こえた。いらっしゃいませー。数人の店員の声が重なる。窓の外は真っ暗で、車のヘッドライトが、モールの駐車場を我が物顔で突っ切っていった。

「それで、君はその熊に食べられちゃったわけ?」

 僕はそう言って数本残っていたポテトを立て続けに口に運んだ。ちらと見ると彼女は恨めしそうな目をこちらに向けている。食べられちゃったのは私じゃなくてポテトよ、そんな気持ちを込めて彼女はため息を吐いたようだった。彼女が話しはじめて、これで36回目のため息になる。僕はそのあいだ、彼女の死に様を15くらい聞いた。

 流行り病で、全身からどろどろに血が流れるの。蛆虫がもぞもぞと動くのよ。熱で朦朧としてるし、息をするのもしんどい、ぴくりとまばたきをするのさえ苦痛だった。

 彼女がそう言ったのは、僕が半分くらいになったチーズバーガーにかぶりついた時だった。彼女はズズッと音をさせてコーラを啜った。

「あまり食事どきに聞く話ではないね」

 そうね、と彼女は笑い、またコーラを啜った。

「死ぬのが嫌だとは思わないのよ。ただ死ぬときに痛いのとか、苦しいのは勘弁して欲しいの。もしかしたら楽に死ねたときもあったのかもしれないけれど、覚えてるのは全部そんな苦しい死に方ばっかり。年とって山に捨てられて、寒くてお腹もぺこぺこで、最後には熊に腹を食い千切られるとか。逃げ遅れて木戸の下敷きになって、煙で目も開けられない、熱気だけが近づいてきて、這っても這っても、足が千切れるくらいに懸命に力をいれてもどうにもならなくて、喉は熱くて声も出ないのに、絶叫したのよ。それとか、理不尽に刀で切りつけられて、それが、ひと気のない夜中の話で、夏場で虫はたかってくるし、さっさと意識が切れればいいのに、朝方、空が白んでくるまで野ざらし。烏かなにかに突かれて、たぶんそこらへんで死んだのかな。とにかく苦しい記憶しかないの。でもそれって生物の本能みたいなものよね」

 彼女はコーラの入った紙コップのストローを咥えたけれど、スコー、スコーと液体の枯れ果てた音がするだけだった。不満げに口を突き出して、彼女は紙コップを振り中身を確認する。ザラザラと氷の溶け残った音がし、彼女はその蓋を開けて口をつけた。

 がりがりぼりぼり。

 彼女に噛み砕かれた氷は、飲み込まなくてもそのまま喉を通っていくようだった。

「空腹は嫌いなの。姥捨て山の記憶が戻るから」

 僕は彼女の代わりにため息をついて、手にしていた照り焼きバーガーを差し出した。三分の一ほどしか残っていないそれを、僕の歯型のついたその食べ物を、彼女は躊躇いもなく受けとって、そして満足気にかぶりつく。

「あなたって優しいのね」

 それはどうやら「ありがとう」という意味らしかった。彼女の中には「ありがとう」という言葉はないようだ。

 深夜のファーストフード店の二階でただ一人チーズバーガーにかぶりついていた僕に、彼女は「隣りに座っていい?」と、それがさも当たり前のように声をかけてきた。客は僕しかいない。席はどこでも選び放題だ。僕は彼女にそう教えてあげる代わりに、首を回してぐるりと店内を見回した。ギィと椅子を引く音がし、彼女は「座ってもいい?」ともう一度口にしたけれど、その時にはすでにカウンターに頬杖をついていた。口の中のチーズバーガーを飲み込んで「どうぞ」とようやく僕が言うと、彼女は「あなたっていい人ね」と、まだたっぷり入っていたコーラをズーッと啜った。
 
 僕の食べかけの照り焼きバーガーは跡形もなく彼女の胃袋におさまり、彼女は氷をざらざらと口の中に含んでばりばりと噛んだ。ばりばりと音がするたび、彼女のお下げ髪がゆらゆらと揺れた。

「わたしね、きっとあなたのことはすぐに忘れてしまうわ。だって、あなたは嫌な感じがしないもの。隣りに座っていて、まるで空気みたいに居心地がいいもの」

「僕は君のことをすぐに忘れられる気はしないよ。だって、初めて会った女の子に、ただファーストフード店で隣に座っただけの女の子に、当たり前みたいに食べ物を取られる事なんてないからね」

「わたしのこと、不快に思った?」

「まったく思わなかった、とは言えないな」

 彼女はまた小さくため息をついたけれど、それは単に笑っただけなのかもしれなかった。 

「わたしはあなたをいい人だと思うけれど、忘れてしまう。あなたはわたしを不快に感じたけれど、忘れない。これって、なんだか理不尽な気がしない?」

 そうだね、と肯くと、彼女は「そういうことなのよね」とつぶやいて、残っていた氷をすべて口のなかに流し込み、顎を上げたまま紙コップの底を右手でトントンと叩いた。カリカリと軽い音が聞こえてきた。

「幸せな記憶だけだと、人間滅んじゃうのよ、きっと」

 彼女は意思のこもった口調でそう云い、じっと窓にうつる闇をにらんだ。りんりんりん、と鳴ったのは彼女のスマホで、画面を確認したその眉が不穏にゆがむ。押し殺すようなため息は、そういえば何度めだろう。

 ……うん、……うん。……分かってるって。明日はガッコ行くから。……いま帰るところ。……うん、先に寝てる。じゃあね。

「帰るね」

 彼女は出会ってから一番の笑顔で僕にそう言ったけれど、それは一番嘘っぽい顔だった。手を振って階段へとむかう彼女を呼び止める。ねえ。

「僕が忘れられないあいだは、君も僕のこと忘れないでよ」 

 振り向いたその顔はずいぶん幼く、はがれ落ちた笑顔もそのままに、彼女は階下へと消えていった。

〈了〉

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