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ほどける金網

#虚構文庫解説 #百合 #掌編小説


ほどける金網


 日が落ちて、黄昏。

 鴇色(ときいろ)#F4B3C2、からの半色(はしたいろ)#A69ABD、さらに勿忘草(わすれなぐさ)#9CC5E6。日本語で表せない私の心は、空の色になって酒見を包む。

 校庭を駆けるシルエットは酒見。彼女の後ろで棚引く雲は千切れ、刻一刻と影を増していく。藍色(あいいろ)#004C71、呉須色(ごすいろ)#00496D、青鈍(あおにび)#324356。深まる宵闇に、酒見の影が紛れた。

 私は鼻歌を口ずさみ、学校に背を向ける。『遠き山に日は落ちて』、ドヴォルザーク『新世界より』第2楽章。街を彷徨ううちに夜の帳は下りきって、信号が点滅する交差点で踵を返した。張り切って二度目の登校。

 正門に刻まれた学校名を、ソーラーライトが照らしていた。閉ざされた門の奥には非常灯の花萌葱(はなもえぎ)#008D56。窓ガラスに映る猩々緋(しょうじょうひ)#E7001Dは非常ベルのランプ。セーフティもエマージェンシーも色で伝わる。

 壁伝いに裏門へと足を向け、散る星々に願った。流れ星をちょうだい。流れたら願うから、酒見を私にちょうだい。誰に認められなくても、ただ指を絡められたらいい。

 コンクリートの壁が途切れて、つづく生け垣に赤銅色(せきどうしょく)#7E0F09の新芽が出ていた。深碧(しんぺき)#005E15の葉とのコントラスト。葉を撫でて歩くとパラパラと軽い音が夜に溶けていく。じきに無機質で空虚な手触りに変わり、金網に指をかけて目の前の学生寮を見上げた。

 酒見の部屋は二階の左からふたつめ。星はまだ流れない。

 酒見は冷たいから、気づいても知らないふりをする。教室では優等生。部活は日が暮れるまで。夜は学生寮の檻の中。私と酒見を隔てる金網は、酒見ほど冷たくない。握りしめると体温が金網に移った。

 学校のフェンスの人工的な緑(みどり)#3EB370は好きじゃないけれど、木賊色(とくさいろ)#22825Dと思ったら好きになった。

 酒見は冷たいけれど、冷たいのとは少し違う。私のことなんて好きじゃないと言ったくせに、ほら、カーテンを開けた。目が合うと、すぐにカーテンを閉じる。

 酒見は女の私に恋したくないだけ。私が緑を木賊色にすり替えたみたいに、酒見も私を何か別のものに置き換えてみたらいいのに。男は無理だけれど、人間とか、動物とか、生物、生命体。なんでもいいから私に恋してくれたらいい。本当は私に恋してるのだから、恋してると認めるだけでいいのに。酒見は素直じゃない。

 金網を指先でなぞり学生寮の裏手に歩いていく。門限まであと何分だろう。外灯の明かりも届かない闇の中でフェンスに背を預けて空を見上げたら、星の数が増えていた。私が見ていないうちに星は流れたかもしれない。もしそうなら、酒見をちょうだい。

「千種」

 振り返ると、裏口の前に酒見が立っていた。足音を忍ばせてフェンス際まで来ると、「いつもいつも、バカじゃないの」と金網に指をかける。私はその上に指を重ねた。

「暇なの」
「家に帰ればいい」
「ヤダ、あんな家。酒見の顔見てる方がいい」
 
 酒見は眉を寄せてため息を吐いた。その眉間に触れたいけれど、私と酒見の間には金網がある。

 酒見の指をなぞった。一本ずつ根本から爪先まで、親指から順に。酒見は精一杯金網の隙間から指を差し出して私を求めた。 

「ねえ、酒見。私が男ならよかった?」

 ピクリと酒見の指がこわばり、金網を握りしめた。私は精一杯金網の隙間に指を差し込んで、酒見の手を包む。

「千種が男だったら、あたしは今ここにいない。千種はどうしてあたしなの? 女なのに」
「好きだから」

 私の手の中で、酒見の手から力が抜けた。呆れ顔の酒見は、私の指先にそっと唇をつける。私がいつもやっていることだった。私は涙が出そうになって、今の気持ちを表す色を探した。

「ねえ、酒見。明日は教室で話しかけてもいい?」
「だめ」
「どうして?」
「ドキドキするから。おやすみ、千種」

 絡めた指がほどけ、酒見はあっという間に走っていった。小さく手を振り、音もさせず寮の中に消える。

 酒見の爪は桜色(さくらいろ)#fef4f4、とスマホのメモアプリに記録した。そのうちすべての色が酒見と繋がって、私は酒見の中で息をする。酒見に包まれて眠る。

「おやすみ、酒見」

 空を仰ぐと星が流れていった。


#MNatsukawa




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