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掌編/七月の雨に立ち止まる

 空気が水だったら、ゆるゆると流れる時間が肌に生々しく感じられるだろうか。ふいと顔を動かすだけで直に抵抗を感じられたら、私は生きていると実感できるだろうか。

 七月になった。梅雨の空気はじっとりと重く、私のまわりの時間は停滞している。停滞したまま淀んだ息をまとって六月と変わらぬ生活を送っている。

 近所のイオンの店先で、百合が濃密な匂いを放っていた。六分ほど開き、その真っ白な花びらの合間からのぞく雄しべをむりしとってしまいたい衝動に駆られる。野菜売り場にはスイカが売られていた。キュウリを買い物カゴに入れる。たしかナスが冷蔵庫にあった。みょうが、大葉、薬味が美味しい季節だ。揖保乃糸を買って帰ることにする。

 マイバッグを手に傘をさすと、雨粒がパラパラと音を立てた。サンダル履きの爪先が濡れて、少し世界が軽くなった。傘を外して全身で雨を感じたいけれど、それはしない。

 車が濡れた路面を走る、シャーッという音が好きだ。雫に頭を垂れる野花が好きだ。歩道の脇にある斜面にはクローバーの絨毯のなかにシロツメクサが咲き乱れ、一部は枯れていた。見慣れた景色は変わらないようで少しずつ変化している。学生御用達で赤本ばかりが目についていた古い本屋は数ヶ月前に店を閉じた。馴染みの喫茶店はショッピングモールに移転した。崩れかけた空き家は数日の工事で更地になった。

 未来にあるのが成長した自分の姿だと疑いなく信じられたのはいつまでだろう。一歩ずつ地道に歩いていけば報われる。そういうものだと思っていた。

 挫折に気づかないフリをできたのは中学まで。高校、大学、挫折はあれどがむしゃらに頑張れば前に進むはずだった。社会に出て十数年、自分の足元にあるのが下りのエスカレーターに思えてきた。歩を重ねても上ることはできず、いつのまにか目指す場所から遠ざかっていく。

 前向きなフリはまだできている。他人と比べることに意味はないのだからと、現実から目をそらしつつ腹のなかに鈍い重みが増していく。

 SNSはエネルギーで溢れていた。活動的な知人たちの笑顔をながめながら「いいね」をつけて、心のなかで「いいな」とつぶやく。彼らのようにできない理由を探して、惰性に満ちた日常を仕方ないものだと納得しようとしている。いっそ歩みを止めて、下りのエスカレーターに身を委ねてしまえば着いたフロアは快適かもしれない。

 車道に何かの死骸らしきものが見えた。ツバメくらいの大きさに思えたが、傍を通るとひっくり返った蛙だった。民家の庭先に紫陽花が咲いていたが、見頃は過ぎていた。

 抗うべきなのか、委ねるべきなのか。歩いても歩いても停滞しているのなら、立ち止まってしまえばいいのかもしれない。変化が上向きでも下向きでも、何も変わらないことのほうがよほど耐え難い。

 垣根の向こうに同居人の軽自動車が見えた。平日の昼間に帰ってくるような仕事ではないから、少々心配になりながら玄関を開けた。

「六月いっぱいで仕事辞めた」

 平日休みで遅くまで寝ていた私は、同居人がいつも通りの朝を過ごしたのか知らない。それは私にとっての変化ではなく彼にとっての変化。それなのに、体にまとわりついていた淀んだ空気が少し払われた気がした。

「そうなんだ。どこ行ってたの?」
「ちょっとドライブしたくなった」
「誘ってくれたらよかったのに」
「寝てただろ」

 ナスを包丁の背でポクポクと叩いていると、同居人がテレビからこちらに視線を移した。すれ違いの生活。台所に立ちながら目の前に彼がいるというのはいつ以来だろう。グリルでナスを焼いて、ミョウガと大葉を刻んで、二人分のそうめんを茹でた。キュウリは乱切りにして、軽く塩もみしたあと梅肉と鰹節で和えた。

 そうめんを啜りながら昼のワイドショーをながめていた同居人が、芸人のコメントに声をあげて笑った。その笑顔はいつもと変わりなく、それは素なのかフリなのか分からないが、確実に何か変化していた。

「夏の味がする」と同居人が言った。私は「キュウリがおいしくなったよね」と答え、ポリポリと音をさせながら窓の外に目を向けた。雨はまだ降り続けている。

――end



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