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恐怖で押さえ込むこと。

学童の職員として仕事をしていると、毎日と言っていいほどぶち当たる壁。
それは「叱る」ということ。

子どもがいない私にとって、子ども、ましてや人さまのご家庭のご子息、ご子女を叱ることは至難の業。
過去の職場で教育係みたいなことをしたことはありましたが、大人相手と子ども相手では話が違う。
何かを教えるならまだしも、ルールや道理に反したことをした子どもに、なぜそれがいけないのか、そうしないためにはどんな方法が考えられるか、というのをいかに冷静に、かつ分かりやすく簡潔に伝えるかとなると、この「叱る」というクエストが死ぬほど難しくなる。ゲームボーイ版のポケモン金銀にあった氷の抜け道ぐらい難しい。(下手すぎる比喩)

こうした子どもを叱る場面でよく登場するのが「怒鳴る」というやり方。
突然デカい声で注意されりゃ、子どもはビビるよ。大人の私だってビビるんだから。
だけどこの「ビビる」を叱るというクエストを攻略する技にするのは、非常によろしくない。誰だって怒鳴られたらいやだもの。
かくいう私は普段から声がデカいので、この叱るという場面で怒鳴るをやりがちでしたが、以前子どもに「なんで先生が怒ってるか分かる?」と聞いたところ「分からない。だから悲しくて泣いちゃったの」と言われたのをきっかけに、怒鳴るを発動する場面が削減されました。

子どもの脳内は、常に「なんで?どうして?」でぎゅうぎゅう。それは大人と比べて知識量や経験値が少ないからだと思っています。
そんなナンデちゃんやドウシテくんを、頭ごなしに叱ったところで、大人が伝えたい本質は伝わる訳もない。ナンデドウシテを解決させるためには、まず相手に注力し、こちらの話にフォーカス出来るように設定することが大切。そこに怒鳴るは必要ない。

誰しも怒鳴られるとビビる、ビビるはそれ即ち「恐怖」という感情。
子どもは大人が自分たちより強いことを知っています。その力を誇示して子どもを押さえ込むのは、恐怖で抑圧していることになるのでは。
子どもより強いのであれば、子どもの盾となり、子どもが素直で誠実に育つためにその力を使わなければならないと思うのです。

そして叱るということは、子どもだけに限ったことではなく、大人にだって必要な場面も出てくるもの。そのときに、大人だからといって不用意に怒鳴ることはないはず。
先にも書きましたが、大人だって怒鳴られたらビビるし、恐怖で委縮する。恐怖で委縮する、というやり方で相手を押さえ込むのは、子どもでも大人でも正し叱り方でないことは火を見るよりも明らか。

部下に怒鳴り散らしている上司という絵面を見る度、「その怒り方だと本質は何も届かないですけどねぇ」と考えながら、一周回って笑ってしまう今日この頃。

静かに叱れる先生になろうっと。

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