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【日記】平行世界で拍手するわたしへ

今日は、来年に延期となった推しの主演舞台の、わたしが四年前に初めて東京で観た舞台の続編の、それからずっと応援しているカンパニーの新作公演の、ほんとうなら公演初日になるはずだった日。

一度キャンセルした有給をやっぱり取り直して、着ていくつもりで半年前に買ったまましまいこんでいた服を着て、いちにち自宅で掃除したりロウ引きしたり昔の写真を見返したりアイスクリーム作ったりして過ごしました。楽しかったです。こう書くと未練がましい気配があるけど、そんなことないよ。来年に持ち越した意味はこれから生まれるから。新型感染症が流行したからこそかわりに得たもののあって、それは真っ直ぐなルートのままではきっと出会えなかったもののはず。

命を落としたひとや現在進行形で生活を苦しめられているひとがいると思うと、こっちのほうがよかったとは決して言えないし思わないけど。それでも、不可逆な時間のなかでなかったことにできないのであれば、こちらの道でもわたしは楽しんでいたいし、じゅうぶんにさいわいなのだと言いたい。言霊はある。

きっとこのウイルスが流行しなかった分岐の先で無事に初日を迎えて仕事を早上がりして東京に駆けつけて劇場で割れんばかりの拍手をしながらおいおい泣いているわたしも、この宇宙のどこかにはいるはずだ。くらげは平行世界の存在を信じている。演劇部を辞めなかった分岐もあれば、名古屋で就職しなかった分岐もあるし、選択肢の数だけ異なる世界がある。ただ人間が平行世界の存在を知覚できないだけで。知覚できない触れられない干渉できないなら『無い』ことと何ら変わらないのでは? という意見も勿論分かる。あるかもしれないという認識は信仰に近いのかもしれない。在るか無いか、信じたい方を信じればいいと思う。

そっちのわたしはそっちでしか見られない景色のなかで幸せでいてくれ、こっちはこっちでこれからきみの味わえない世界を楽しんでいくから。