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アファーマティブアクションとパワーダイナミクス【DEI#36】

こんにちは。中小企業診断士のさとうたろうです。

アファーマティブ・アクションを巡る議論

Youtubeのショート動画で、アファーマティブアクションについてひろゆき氏と女性が議論しているのを見かけた。
「アファーマティブ・アクション」とは、歴史的・構造的に不利な立場に置かれてきた人々に対し、格差を是正する目的で一定の優遇措置を講じ、機会均等の実現を目指すことを言う。

この企画では性別、つまりは女性をマイノリティとした議論が行われていた。明確には覚えていないが、ひろゆき氏の主張は、「女性の活躍が有益な企業のみが実行すればよい」「利益度外視で一律的にアファーマティブアクションを求めることはナンセンスだ」ということであったと思う。
それに対して、女性はアファーマティブ・アクションが必要な理由として、「ダイバーシティがパフォーマンスにつながる研究結果がある」ことなどを主張していたが、全般的に回答に窮していたように見えた。

ひろゆき氏の主張は一理あると思う。これはダイバーシティ経営を進めるうえで、多くの男性社員から聞かれる主張でもある。これに対する答えはとても悩ましい。
番組において女性が反論理由として挙げた「ダイバーシティに関する研究結果」の多くは答えありきの調査であるようにも感じるからだ。前提や調査方法を変えれば結論が変わるものも多く存在するだろう。自分だったらどのように答えるだろうか。

個別企業(特にベンチャー企業)や部署単位でアファーマティブ・アクションの意義を説明しようとすると、どうしても、ひろゆき氏の言うような利益との関係性の部分で答えに窮するように感じる。

やはりミクロではなく、マクロでとらえるべきか。
「ジェンダーギャップ指数の116位という結果は、日本が女性を十分に活用できていないことを示しており、これが国力の低下の一因となっている可能性がある。この問題に対応するために、抜本的な構造改革を迅速に行うためには、クオーター制などのアファーマティブ・アクションを実行するのが有効である。上場企業などは、社会的責任の一環として、アファーマティブ・アクションを行うべき。」
といったところだろうか。この主張にも、穴はたくさんある。「社会的責任として行うのであれば、どこまで行ってもコストであり、国力は高まらない」とか「ジェンダーギャップ指数が高い国が、必ずしも国として豊かではない」等。ただ「ダイバーシティはとにかく良いんです」というよりはいささかましであろうか。

ひろゆき氏の「ダイバーシティがフィットする・しないは業界や企業による」という考え方は正しいように思う。
例えば、「顧客の多くが女性を占めるのに、管理職が男性中心となっている会社」があったとしたら、ジェンダーダイバーシティが足りていないのは明らかだろう。それに対して、肉体労働が主体となる仕事に、女性の参画が必須なのかは疑問が残る。もちろん排除はしてはいけないが、アファーマティブ・アクションを求めるのは些か現実的ではないように思える。
政府がガイドラインとして、職種・業界ごとに、女性管理職比率の最低ラインを示すというのはありだと思うがどうなのだろうか。

パワーダイナミクスについて学ぶこと

ハーバード・ビジネスレビューの2023年4月号の、組織内における不平等についてのレポート記事、「シェアード・シスターフッド:組織的な不平等を個人のつながりの力で解決する」は興味深かった。
特にパワーダイナミクスについて知り、共有することは、ダイバーシティを進めるうえで有効な取り組みだと感じた。

アイデンティティが歴史やステータスといった、より大きな文脈とどうかかわっているかを理解しようとする。一部のアイデンティティには、社会的な力が染み込んでいる(たとえば、白人や男性などがそうだ)。一方で、(黒人や女性など)歴史的に軽んじられてきたアイデンティティもある。自分のアイデンティティに絡むダイナミクスについて、じっくり考えることが必要だ。

シェアード・シスターフッド:組織的な不平等を個人のつながりの力で解決する
ハーバード・ビジネスレビュー2023年4月号

自分の人種的アイデンティティに絡むパワーや特権について告げられた場合、次の3つのうちいずれかの反応をすることが調査で示唆されている。
自分にパワーがあることを否定して反論する、白人アイデンティティから心理的に自分を切り離したり距離を置いたりする(自分は「そういう白人とは違う」ことを示す)、あるいは、他の人種・民族的グループより自分のグループを特別扱いする不平等のシステムを排除しようとする。

シェアード・シスターフッド:組織的な不平等を個人のつながりの力で解決する
ハーバード・ビジネスレビュー2023年4月号

メモ:マイクロアグレッション

相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手を微細に傷つける言動や行動をしてしまうこと。その背景には無意識の偏見があるとされている。

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