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2022.06.23/四十九日餅

法事に向けた準備なんて気が重いことを律儀にできるわけもなく、当日の朝、性懲りも無くバタバタと喪服の用意をした。先に家を出る両親を横目に、一人で身支度を整える。出発の予定時間を勘違いしていたので10分遅れでお寺に到着する。

兄の死を受け入れている自分と、受け入れられない自分が交互にやってくる。前者は「子どもや配偶者を亡くした人に比べれば、この悲しみは軽いものだ。どれだけ悲しもうが死んだ人は蘇らない。事実は事実以上の何でもなく、それにいつまでも振り回されるのは愚かである」と指導してくる。後者は「この二ヶ月弱が幻だったんじゃないか。家に帰ればいつも通り兄がいるのではないか。本当はいつでも会えるんじゃないか」と現実逃避をする。

兄のアルバムを見返せば、長男らしく私より3倍は枚数が多い。最初に産まれた子の写真の方がたくさんあるのは、親としてよくあることだろう。ページをめくればいつでも無垢そのものの兄がいる。私が産まれる前に、皆に祝福されて生まれてきた兄が。祖母と仲良く二人で笑う兄。子どものいない叔父に頭を撫でられている兄。かつて飼っていた犬に少し怖がりながらも近づく兄。父と手を繋いで嬉しそうな兄。母が愛おしそうに抱く兄。そして、赤ん坊の私とふたりで無邪気に寝転がっている兄。

でも兄が小学校高学年に上がったころから、家族仲はあまりよくなくて、特に父と兄は顕著だった。それから大人になっても、顔を合わせて話すのは法事の時くらいだった。お互いコミュニケーション能力に乏しく不器用そのものだから、関わり方が分からなかったのは間違いないだろう。

親世代は、兄とどう関わったらいいかがずっと頭を悩ませていたテーマでもあったと思う。その中で私は、ただの妹として何も知らない顔でいることができ、ときには甘えることができ、友人のように対等に会話することができた。私しか見えていなかった兄というのが少し見えてきた。例えば、黄色が好きだったこととか。同時に、母にしか見えていない兄というのも多くあるだろうと予想できた。が、あまり聞かないことにした。私に見せていない兄の姿を必要以上に知ることはないと思った。もう、これ以上は。

「死」に対する考え方は、漫画『デスノート』の描き方がいちばん近く、「無に還る」ことだと思っている。供養だとか法要だとかは残された人のためにあるものだ。私たちが生きるために行うこと。生きる人のための智慧・考え方の結集が仏教や宗教だ。死んだらどうすることもできない。純然たる「死」という事実がそこにあるだけ。まあこんな考え方は、霊感が皆無だから言えるだけかもしれないけれど。

お寺の本堂で四十九日法要が終わり、裏手にある先祖代々の墓へ移動し、納骨の儀が始まった。湿気で暑い中、ご年配の石材屋さんが丹念に石を退けながら骨壷を収めてくれた。その間、和尚のお経が響く。親族全員がそれぞれ線香を灯し合掌している中、墓の下部をモンシロチョウがふわふわと飛び回った。そのチョウはしばらく滞在した。自分の中で「死の概念」が揺らぐ。兄だと思った。事実なんかどうでもいい。兄だ。兄の魂が最期にお別れを言いに来たのだ。最期に会えてよかった。目から涙が溢れてマスクがびしょ濡れになった。

家に帰ってから母に「さっきのモンシロチョウ見た?あれ、きっとYだったよね」と告げられ、やはり同じことを考えるよね、と深く同意した。

法事が終わった後、お供物の四十九日餅を振る舞ったが、そもそも親族は両親、私、叔父夫婦の5人しかいないので、大量のお餅を持ち帰ることになった。四十九日餅はその名の通り、49個の餅と1個の巨大な餅のことで、死者の往生を願うのに必要なものらしい(個数や形状は地域によって差がある)。

和菓子屋さんで特注で作ってもらったものなので、今まで食べたどのお餅よりもおいしく、法要からほとんど毎日食べている。餅を食べ終わった頃には新盆がやってくる。通年通りの何も変わらない、初めての夏がやってくる。

兄の話はここで終わります。「兄がいる私」と「兄がいた私」は間違いなく別人で、おそらくそれは両親も同様ですが、兄がこの世に存在していた事実は変わりません。私がこれまでの人生、兄の存在によって救われていたことも。だからこんなに書いても書いても、辛くて涙が出るんですね。ここまで読んでいただきありがとうございました。


後日談。愛が重いので兄の子供のころの写真でムービーを作った。母にはまだ見せていない。


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