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2022.05.01/運命とか天命とかうるさいよ

何かに昇華しないとやってられないので書いていこうと思います、淡々と

GWがスタートして3日目。月末月初に増える仕事量に加え、大型連休のスタートでてんやわんや。今日も仕事に忙殺されていた。とはいえ前日の残業分を消化するために17:30に上がる予定だった。しかし、夕方になって思いがけない偶然の出会いがあり、仕事のマッチングを見届ける。時刻は19:00になっていた。その後、偶然出会った友だちと他愛のない話をしながらお茶をする。「じゃあ今度の土曜日に」。次に会える予定を噛み締めながら、少し長引かせてしまったことに反省しつつ帰路に着く。今思えば帰りたくなかったのかもしれない。ああ、今日は日曜日で20時までに帰れるから、初めて大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をリアルタイムで観ることができる。今朝、そう気づいたことをすっかり忘れており、家路を目指す頃には20時を過ぎていた。

いつも通り車を走らせて、あと家まで数十メートルというところで、普段見慣れない赤いランプが光っているのが見えた。救急車だった。家の前に停まっている。救急車の近くには人影が見えた。とりあえず車を路肩に止め、人影に向かって走っている内に、その正体が親戚だと分かった。ということは? うちの家族? 親のどちらかがついに? 両親は60歳を超えているから、年齢的にまあそういうこともあるだろう。いよいよか、と覚悟を心の奥でほんの少し固めた。走って近づいてきた私に親戚の一人が気付き、名前を呼んだ。

「今、Yくんが倒れて、救急車に……。意識不明だって……。お母さんが付き添いで乗ってるよ。お父さんは家にいると思う」

Yは兄だった。思いも寄らない名前に言葉を失う。家の玄関に目を向けると、夜更けにも関わらず扉は開け放たれ、家の中の光が煌々と漏れていた。事の異常さ、重大さ、緊急性を瞬時に感じ取った。「とりあえず、車を停めて、家、行ってみますね」と答えて、路肩に放置していた車に戻る。エンジンを起動させて車を動かすも、手が震えていつものようにスムーズな駐車ができない。何度か切り返してようやく駐車した。

無我夢中で家の中に駆け込めば、パジャマ姿の父が汗まみれになりながら、水分でくしゃくしゃになった新聞紙を握りしめ、兄の部屋から出てきた。顔は見たことがないほどに呆然としていた。見渡せば、床一面に水気を拭き取った跡が残っていて、不自然にフローリングがツヤツヤとしていた。兄は余程の量を嘔吐したのだろうと、いやでも分からされた。熱心に吐瀉物と汚れた新聞紙を片付けている父から「病院決まるだろうから、ちょっと行ってきて」と頼まれる。

外に出ると、叔父夫婦の他にもう一人立っていることに気付く。Aさんという、父の小中学校時の同級生で、なんでもずっとご近所だという快活な年配男性だった。そんな人が同じ町内にいたなんて全く知らなかった。(後で母にもこの話をしたが、やはり知らなかった)ご近所付き合いがまるでないことを心の底から思い知る。「救急車に行ってみてもいいのかな」という私の問いに「うん、大丈夫よ、行ってきな」と叔母が返事をくれる。この異常事態に話せる人がいるのはとても救いだった。

救急車の窓をノックすると、気づいた救命士の方がドアを開けて応対してくれた。「今、病院を探している最中で、決まったらお声がけしますから、もう少々お待ちくださいね」。救命士の話を聞いてる最中、呼吸器や管でいっぱいの線に繋がれている兄の姿を、ほんの一瞬見ることができた。今のところこれが兄を見た最後だ。

一旦家に戻って、救命士から聞いたことをそのまま父に話した。片付けている父の姿を見ながら、私は特に何もできず右往左往としていた。しばらくすると叔母が来てくれて、「今、救急車が病院に向かったよ。Z病院だって」と教えてくれた。少し落ち着いてから、父の運転する車でZ病院へ向かった。Z病院は、家から車で約30分ほどの、隣のN町にある大きい病院だ。ここらに住む人たちは、大抵、重い病気や手術が必要となると、Z病院に行くことになる。先日もここで友人が入院、出産したばかりだった。出産直前の頃、その友人が「でもコロナ対策で一度に15分、2人までしか面会できないんだよね」と言っていたことが頭をよぎる。

車内では洋楽好きの父が「アース・ウインド・アンド・ファイヤー」の曲を流していた。通勤の時はいつも彼らの曲を聴くらしい。私もつい1年前くらいに急に彼らの代表曲「セプテンバー」を狂ったように聴いていたから、「実は最近聴いてるんだよね」と話した。私は英語に苦手意識が強く、歌詞偏重主義だったから、元々洋楽を全く聞かなかったが、それはここ5年くらいの大きな変化の一つでもあった。まさか父親と音楽の話をする日が来るとは思わなかった。父親が彼らの人物像や、「この曲のストリングスが良いんだ」とか話してくれたが、耳から耳へすり抜けてしまった。父と母の結婚式の入場曲にも使ったという小話は、どうにか記憶に残っている。

車内の時間は永遠でもあり一瞬でもあった。気がつけばZ病院に到着し、初めて訪れる大きな病院の駐車場、長い廊下、救急患者入り口など、一つずつ恐る恐る進んだ。救急患者の受け入れ病棟は、駐車場から一番遠く、一番きれいな外観をしていた。「ここ、昔は●●旅館だったんだ。土地を買い取って病棟にしたんだな」と父がつぶやく。N町で働いていたことのある父はやたらと事情に詳しかった。今日ばかりは脈絡のないウンチク話が救いだった。

救急病棟の入り口に着くと、ガラス戸の奥に母親の姿が見えた。病棟の中で3人集うことは、やはりコロナ対策のため禁じられていたので、5月とは思えぬ寒空の下でひとまず合流した。やはり母親も、見たことのないくらい憔悴していた。ハンカチを握りしめていたが、私が家から持ってきたタオルを渡すと、堰を切ったように泣き始めた。父が母の肩を抱いた。妹の私でもこんなに苦しいのに、母親であれば尚更だろう。兄の命のこともあるが、息子が苦しんでいるのを目の当たりにしてしまった両親を想って、私も黙って涙を流しながら母の手を握った。

母親が医者から伝えられた話はこうだ。「脳幹出血」という、脳の一番大事なところから出血しているから、手術ができない。意識は戻っていない。今後も意識が戻ることは望めない。奇跡的に意識が戻っても、これまでと同じ生活は送れないだろう。

誰も口を開けなかった。頭のどこかで、手術がすでに始まっていたり、意識が一瞬でも回復したりしたんじゃないかと期待してしまっていた。現実が耐え難いほどに重くのしかかった。「Yも可哀想な人生だよな」と父がぼやく。このYという兄は、3歳の頃に原因不明のO157(食中毒)にかかり、生死を彷徨っている。全く同じ状況を約30年前にも両親は経験していた。変わったとすれば、そこにいるのが祖母でなく私になったこと、母の実家の県ではなく父の実家の県の病院にいること。変わらないのは彼らの息子が意識不明で入院していることだった。(ちなみに他にも交通事故や大怪我での入院沙汰が数件ある)

父が自分の勤務先に、電話で現在の状況と明日の欠勤を伝えた。母も兄の勤務先に、兄が倒れたことを電話していた。私といえばなぜかスマホの通信ができなくて、「でも親じゃなくて兄なんだよな?しかもまだ死んでない。良いのかこれは?兄も私も既に家庭を持っていて子供なんていたら、お互いの急病で休んだりしないよなぁ。両親もまだ健在なわけで……でも実際はお互い独り身で実家暮らしなんだよなぁ。仲の悪い兄弟だったら絶対休まないだろうし、一般的に兄弟の急病ってどうしているんだろう、みんな」などと考えていたらタイミングを逃した。

病院に3人いてもしょうがないので、母親を残し、父と私は一旦帰ることにした。病院を出たあと、コンビニで一服したいと思っていたら、父も同じことを考えたようで「コンビニでコーヒーでも飲んでいかない?」と言われる。こういう時、深夜のコンビニはものすごく救いになる。人生を救ってくれているランキングのトップ5には入る。近場のミニ○トップで私はブラックコーヒーを、父はアイスコーヒー片手にタバコを吸ってぼんやりと10分程度過ごし、帰路についた。

再び家に入ると現実味がいよいよ帯びてきて、部屋では涙が止まらずぼーっと時が経つのを待った。20代も後半戦なのに、泣きながら上司に状況を電話で説明し、とりあえずの休みをいただいた。その後、こんな風に過ごしてもしょうがないと思い直しお風呂に入った。しかしすぐに父親から「呼び出しがあったから病院に行こう」と言われ急いで支度をする。父はこの帰宅後1時間ほどの間に、当日放映していた「鎌倉殿の13人」の第17回「助命と宿命」を観ていた。源頼朝(大泉洋)に裏切られて落命した木曽義仲(青木崇高)の息子、義高(市川染五郎)が逃げる最中に捕まって殺される回だ。「若い息子が死ぬ話なんてよく観ていられるな……」と思ったが、数日後に私もこの回を観て、ストーリーがしんどすぎるのと、今の状況とどこか重なっていて逆に救われた気がした。こうやって誰かが原因で殺されるよりも、だいぶマシだなとも思った。そして武田信義(八嶋智人)にこれ以上ないくらい同情した。信義の息子もやはり頼朝に謀殺され、北条義時(小栗旬)に「息子が死ぬことはなかった」と怒りを露わにした。本当にその通りだ。

再び車を走らせZ病院に着く。いよいよ兄の脳か心臓が止まったのかと思って奥歯が震えた。そういうことではなく、もう遅いから帰れと、母が病院から締め出しを食らったらしい。先に言ってほしい。

駐車場に帰る途中で、母が医者からさらに聞いた話を伝えてくれた。「心臓が止まった場合、心臓マッサージを施すか否か、選んでください」と言われたと。ただし心臓マッサージで心臓が動き始めたとしても、病状が深刻なだけに、マッサージで折れる周りの骨を治していく手立てがない。いわゆる延命措置をするかどうかだが、母は断った。父と私も頷いた。いつも家族で意見がバラバラで、一致することなんか稀なのに、「ホラー・心霊・都市伝説好き」「長生き、延命治療不要派」という点では団結するんだった。

3度目の帰宅。全員、心身ともに疲れ切っていた。お風呂に入り直す余裕もなければ、眠れるはずもなく、布団の中でスマホで「脳幹出血」についてスワイプし続ければあっという間に夜中の2時を超えていた。リビングもまだ明かりが点いていた。

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