大人と私

ノート初めて初手から自分語りをさせてもらおう。

ついったぁにはもういい加減に鬱陶しいくらい書いているのが「大人を押し付けられてきた」ということ。

私は4歳くらいの頃からずっと大人だった。というか子供でいてはいけなかった。

当時の大人たちからすると、そう押し付けたつもりはないのだろうが、それが強迫観念のようなものになってしまった、そして成長してからも首を絞められている身からすると押し付けられたも同然である。

私はこれを呪いと呼んでいる。
死ぬまで私を縛り付けて苦しめる、一生解けない呪い。幼く、家庭と幼稚園が全ての世界だった少女が背負うものではなかっただろう。

しかし可哀想なことにこんなクソデカいわけわからんものを押し付けられ、途中で捨てるのも許されなかった少女こそが私である。
というか、こんな無理矢理押し付けられたものを持っていることでしか褒められなかった。それもまぁまぁの大問題であろう。

これは偏見だが、世間では4歳なんてお菓子買っておもちゃ買ってと駄々を捏ねて親を困らせたり、抱っこを親にせがんでその腕の中で寝落ちたり。
時には同年代の友達とおもちゃの取り合いなんかで喧嘩をして大号泣をぶちかます年頃だ。大人の話なんか聞いちゃいない。
大人なんてものとは程遠いのだ。

それがどうだ!私に至っては我慢我慢我慢、何をするにも当時赤子の弟が優先。抱っこも弟がいるからできない、お前はもう重いんだから自分で歩け。
※弟は小学3年生になっても抱っこを許されていた。

やりたかったものも、欲しかったものも、全て弟が手がかかるからできない。

明らかに4歳の子供に課すものではない。これは小学校低学年くらいの子に言うものだと思う。
それとも私が知らないだけで世界ではこれが普通なのか?私が弱くてワガママなクソガキなのか?

私はよその子供が好きでよく育児マンガを読む。
4歳や5歳の子供。両親に愛され、兄弟仲もよくスクスクと育っている様子が描かれている。
私とは大違いだ。

話を戻そう。
新生児に手がかかるのはどんなアホでもわかるだろう。だがそれを理由に4歳のハナタレを放置していて大丈夫なんてことはない。絶対にない。
元からしっかりしている子供だったとしても、絶対にいけないことだ。
完全なるネグレクトではなかったし、家の外にいる放置子でもなかった。兄弟差別もなかったと思う。ただ、親に見てもらえないのは辛いことだ。

父は仕事なので日中ほぼワンオペでここまで育ててくれた母には感謝しているし、尊敬もしている。
でもそれとこれとは違う。
聞き分けが良く、わがままも言わず、癇癪もなければ駄々も捏ねず、弟に優しいお姉ちゃんだった私はそうじゃないと褒められなかったからだ。

両親は比較的色んなことで褒めてくれたが、その他の大人は私のことを大人びてるという点でしか褒めなかったと思う。それ以外に褒める点がなかったのだろう。

まぁ、みんな赤子に夢中だからね。上の子なんてどうでもいいに決まっている。だから見ていないので褒める点も見つからず曖昧な言葉で濁した。

できるようになったことだって、
お前ならできるだろう。
それくらい誰でもできる。
そんな風に突き放されて誰も成長を褒めなかった。

習う前から字が書けても、汚い。読めない。もっと丁寧に書くことを覚えろ。なんて、完全に私を大人扱いしている。同等に見ている。

赤子に毛が生えたような生き物にかける言葉なわけがない。そんな言葉ばかりかけられて大人扱いされていては自己肯定も自尊心も何もかも育たない。
むしろ成長してから何しても消えない傷を残すことになるから子供は些細なことでも褒めるべきだろうと思う。

さて、私の過去はこれくらいにして、なぜ子供を大人扱いするといけないのかという話だ。
経験も交えて書いていこうと思う。

まず、幼少の頃からそれを強く褒め続けていたら
「そうでないといけない」
と思い込むことになる。それが自分にとっての普通になるので、年相応の振る舞いをしている子供に対して、あの歳であんな子供なの?マジ?と内心どころかガッツリ見下してしまうようになる。

そして、大人であることがアイデンティティになる。これの何が悪いことなのかと思うだろう。
成長して自分の精神レベルに周りの精神レベルが近くなったり追いついたりすると、特別で褒められるべきものだと思っていた自分の行動や言動が当たり前のものになる。
ということは自分は普通の人間で、なんなら周りの方が大人っぽくて、あぁ落ちこぼれなんだ……と考えすぎてしまう。

大人っぽい子というのは理解力と思考力が高く、頭の回転も悪くない子だと思う。なので考えすぎてしまい病む。病んでメンヘラ超えてガチ精神疾患を患う可能性もある。
※この辺は人によるのであまり考えなくていい

さらに、大人っぽいが当たり前になっていくと周りの人から褒められることがなくなる。
子供を大人っぽいと褒める大人は他のものを見てないことが多いのでそこしか褒める点がないというか見つけられない。当然当たり前のことは褒めない。なので褒められない。
自己肯定感は上がるどころか下がっていく。本当は当たり前のこと程褒めるべきなのだろうが、大体の大人は頭が凝り固まっている上に意外と頭が悪いのでそのことに気付けない。

また、前述した通り子供の頃から他人を見下したり鼻で笑ったりする癖がつく。これは私の性格が単純に悪いだけだと信じたいが、人を見下すことで自分はこいつより大人だ、優れている、と思って安心するのだ。
別に大して可愛くない子がブサイクと言われる子を見てこいつよりは可愛いと自信をつけるアレだ。

ここまでの説明で分かっただろうが、大人だとしか言われなかった子供は「大人であること」にやたらと執着する。そうでないと、自分を認めて貰えない。個性がなくなってしまう。自分を見失う。

そうやって執着する割に、大人だと言われると嫌な気持ちになってしょうがない。心臓の辺りがズキズキと痛むのだ。でも、言われないと不安になる。

この執着こそ、私が呪いと呼んでいるものだ。

これをどうにかするには?
死ぬか、記憶を消すかの2つしかないよ。
さっきも言っただろう、私が呪いと呼んでいるだけで、これは心に深く残った傷だ。

もし心から愛する人がいて。その人に優しい言葉をかけられたとして?絶対に治ることはない。
一時的に痛みが消えて、しばらくするとまた痛み出すだけだ。麻酔でしかないんだ。
麻酔だけでは怪我も病気も治らないだろう。

幼い自分にかける優しい言葉が必要だ。でも、幼い自分は既に殺されてしまったので何も届かない。伝わらない。
誰も褒めてくれなかったのに、一人でなにをしているのかという孤独や虚無や惨めさしか残らない。

本当に何をしても無駄なんだ。
麻酔も使い続ければいつかは慣れて効かなくなるか中毒になる。殺された自分を救う方法もない。

大人になって、周りを見た時。同年代の方が遥かに大人で、自分はまだ子供みたいで。でもどうやってこれ以上大人になるのかが分からない。
だからきっと、影であの人子供みたいだとか言われる人生になるんだろう。

だから、子供を必要以上に大人扱いしないで
ワガママは多少なら年相応だと許してあげて。
(大人にとって都合の)良い子を押し付けないで。
些細なことでも、当たり前でも、褒めてあげて。

人を育てるにあたって難しいことなのは分かってるし私もまだ子を持つ年齢ではないから、あんまり言えないけどね!

以上、長い大きな独り言でした。

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