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【第三話】ニオイのもと

 「ニオイのもと」
 
いつもの同じ道を右に曲がって、裏通りの狭い道を歩く。ドブのニオイがこびりついた通りだ。仲間はドブ裏通りなんて呼んでる。ぴったりの名前だ。鼻が曲がる。この一か月間、ドブ裏通りでよくすれ違う老夫婦の会話が気になっていた。

 いつも断片的に会話の内容が聞こえていた。しかし今日は特別よく聞こえる。老夫婦、声が大きいのだ。二人とも耳が遠いんだろう。何か手がかりにでもと思った俺はサッと踵を返して、老夫婦の後ろをつけていった。左側の後方を歩けばいい。壁際なら振り返ったとき、死角になる。ガキの頃から母ちゃんからそう教えられたもんだ。
 老夫婦にそっとついていく。音を立てない。気づかれないように。距離を一定に保ちながら、付かず離れず。でも声が聞こえる程度に。  
 俺の耳はいい。地獄耳なんてもんじゃぁない。十メートル先の歩く音でも聞こえる。鼻の良さにも自信がある。嫌な奴はイヤなニオイがするってもんだ。誰かと比べたわけじゃぁないけど。

 「ねぇ、今度の子たちは、どうしましょう」
 「まだ連れてきたばかりだから、そのまま閉じ込めておけばいい。そのうち泣き止む」
 老夫婦の話が鮮明に聞こえた。妙な会話だ。今度の子たち?閉じ込める?泣き止む?だって!こいつらもしかしたら、最近話題の誘拐犯なんじゃねぇのか?短絡的すぎるか。だが、なんか怪しいニオイがする。比喩じゃぁなくて、本当のクサイニオイの方。嫌なニオイいだ。ドブ裏通りにも負けてないニオイだ。
 それによく見てみると、どこか怪しい。二人とも帽子を深くかぶってる。外見だけじゃぁ判定できない、薄っぺらい根拠だけどな。そもそも誘拐犯なんてものは見たこともねぇけど、なんとなくわかる。こいつらだ。
 キョロキョロと路地裏を見てるかと思ったら、足を止めてじっと二人で大通りの方を見てやがる。
 「やぁ、タムラさん。今日もお散歩ですか?いい天気ですね」
 見たことのない男が声をかけてきた。畑仕事の帰りのようないで立ちだ。
 「あら。タハラモトさん、奥さんの膝の具合はどうなの?もう大丈夫なの?」
 他愛のなさそうな会話をしている。善人ぶってるが実は、悪人ってのはよくある話だ。この老夫婦はやっぱり怪しい。だって、こんな会話してるときでも、ジジイの方は公園の方をじっと見てる。連れ去るのに丁度いい子どもを物色してるみたいだ。

 「おじいさん、そろそろ帰りましょうか」
 「そうだな、今日はこの辺にしておこう」
 二人は公園通りから少し歩いた桜の樹のある古びた一軒家に帰っていった。随分でかい家じゃねぇか。二人で住むには大きすぎる。昔は自分の子供たちがいたんだろうか。
 誘拐してきた子を隠すには大きければ大きいほどいい。俺は確信を得た。こいつらがあの誘拐犯なんだ。間違いない。
 というのも、俺の姉さんの息子と娘が先月から行方不明なのだ。泣いてばかりいる姉さんに代わって、俺も時間のあるときは探してるってわけだ。なかなか動いてくれるヤツもいないからな。不介入ってやつだ。
 そこで目をつけていたのがこの老夫婦ってわけだ。嫌なニオイがプンプンしてくる。

 俺は老夫婦が玄関から家に入るのを見届けた。俺はそっと勝手口に回った。運よく勝手口の戸が少し開いていた。不用心だ。いや、誘ってるのか?そんなことはないだろう。
 勝手口は台所に通じているようだった。台所近辺からいくつもの泣き声がする。それにあの嫌なニオイもする。俺は後先を考えずに、そのまま勝手口から台所に侵入した。
 やはり泣き声が混じってるようだ。聞き覚えのある声とそうでもない声。俺は忍び込んだ台所からリビングをそっと覗き見た。
 「はいはい、ちょっと待ってね」
 ババアがなにやら、皿に食べ物らしい何かを盛っている。ジジイがなにか、棒状のねっとりしたジェルのようなものを持っている。子どもたちの泣き声がする。いったいどれくらいいるんだ。声は相変わらず二種類に感じる。二つじゃぁなくて、二種類。
 突然、俺に鼻にとんでもないイイニオイが飛び込んできた。あぁ、俺もなんだか自制心が吹っ飛ぶ、理性がどこかに行ってしまう。このニオイはたまらん。うまそうな、でも食べたことはない。
 「この子たち、よく食べますね。」
 「このチューブのおやつも好きなんだな。」
にゃーにゃーと猫たちが駆け寄る。
 「あら、この子はどこの子かしら。しらない子ね」
 「バアサン!勝手口があいてるじゃないか、勝手口だけに勝手に入ってきたんだな。ハハハ。いいじゃないか、この子もハラペコなんだろう」
 ジジイから差し出されたチューブ。俺は警戒心を解き放っていた。そして初めて、あのおやつを食べた。うまい!
 皿盛のカリカリきゃっとふーどとやらも食べた。うまい!うますぎる!隣で爆食してたのは、姉ちゃんの息子と娘だった。
 「おじさん!!」
 「ミャースケ!ニャーコ!」
 久々の再会だった。後で話を聞くと、姉ちゃんとはぐれて公園で途方に暮れてたときに、この老夫婦に餌付けされたらしい。甲斐甲斐しく食事の世話をされているうちに、知らぬ間に家に連れられていたということだ。半ばガキども自らの意志のようでもあった。ノラの風上にも置けん甥と姪だ。
 「おじさんは、どうしてここに?」
 「いや、あの老夫婦がな。まぁ、怪しい思って、後をつけたら偶然さ」
 「きっとわたしたちのニオイがしたのよ」
 「そうだな」
俺は久々に再開したニャーコの話もうわの空できゃっとふーどを無心で食べていた。これはうまい。しかしあの二種類の声はなんだったのか?そしてあの嫌なニオイの正体は。

 甲高いチャイム音が鳴った。老夫婦がゆっくりと玄関に向かった。
 「村田和夫さん、村田智子さんですね?」
 「花視丘警察から参りました。こちら捜索差押許可状の令状です。今より、ご自宅に立ち入りいたします」
 男たちはずかずかと家の中に侵入してきた。ミャースケ、ニャーコは慌ててリビングの奥に隠れた。俺は堂々とリビングからその様子を眺めていた。何が起こったんだ?
 「ここですね!」
 老夫婦は呆然と立ち尽くしている。若い刑事が台所のキッチンマットの跡がズレているのに気づいたようだった。すべり止めの粘着シートがズレ動いて、汚れの跡のようになっていたのだ。マットを動かすと、そこには床下の収納庫があった。収納庫というよりも、地下室と言った方が正しいようだった。その奥から、かすかに声がする。
 「た、たすけてっ」
 ふり絞るような声だった。子どもの声だった。俺が勝手口から聞こえたもう一種類の声だった。あの老夫婦から漂ってたニオイ、あれはヒトの子どもだったのか。地下室からは冷気が漏れ出ている。

 ジジイとババアはあっけなく逮捕された。未成年者誘拐、逮捕・監禁容疑だ。床下収納庫からは小学生の子どもが二人発見された。幸いにも二人とも元気だった。ジジイとババアみたいに猫好きだからといって、いい人とは限らない。父も母も姉も兄も同じことを言ってたのを思いだした。人間は猫よりも気まぐれだ。
 ということは、もしかしてあの嫌なニオイの正体はこのガキたちからのものだったってことか。そういやぁ、よく見たらアイツら公園で石投げてきたガキじゃねぇか。いっつもいっつも、石投げて追いかけてきた。
 俺たちは一度見た顔はわすれねぇ。ヤなことされたらなおさらだ。猫は恨むとしつこいんだ。そういやぁジジイとババアから出ているニオイとは違った気もしてたからな。たぶん、ジジイとババアの悪人のニオイと人間のガキたちの嫌なニオイが混ざってたんだな。どっちにしても悪いニオイっちゃぁ、悪いニオイだ。
 「おじさん、アイツら石投げてきた子どもだよね」
 「よく覚えてるな。そうだな。アイツらだ」 
 「コワイ目に合って、ジゴー・ジゴクさ」
 「それを言うなら、ジゴウ・ジトクよ」
 まぁな、自業自得って良いやぁ簡単だけどよ、猫に石投げたっからって、こんなひどい目に合うのはワリに合わねぇもんな。

 「おめえらよぉ、世の中は、そんなシンプルなもんじゃねぇよ」
 俺はミャースケを咥えて、ニャーコを背中に乗せた。
 「ママのとこに帰るぞ」
 重てぇ。しばらく見ないうちにデカくなったもんだ。いいもん喰ってたんだな。コイツら。
 しかし、あのきゃっとふーどとチューブはウマかった。あれは、イイニオイだ。
                (おわり)

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