【タイカレー・BAR】松野真樹さん
(この記事は以前書いた記事をサイト移転の際に転記したものです)
日本人が好きな食べ物ランキング。
いろいろなところで統計を取っていますが、寿司やてんぷらといった「純和風」のメニューに追随するのが、ラーメンとカレーライス。
御存知の通り、発祥はよその国です。
が、独自の進化を遂げて、いまでは立派に「日本の食べ物」として認められています。
今回、訪れたのは、もはや国民食といってもいい「カレーライス」の専門店を手掛けるお店を経営する松野真樹さん。
生まれも育ちも塩竈市の松野さんが、いったい、なぜカレー専門店をオープンするに至ったのか。
いろいろとお話を聞いてみました。
―ありきたりな質問で恐縮ですが、そもそも、どうしてカレーライス、そして、どうして料理の世界に入られたんでしょうか?
もともと、実家が仕出し店((有)松野 仕出し部)なんですよ。
親戚も近くで魚屋やってますし(※松野鮮魚店)、とにかく、みんなが食べ物に関わっている仕事していたので、自分も自然とその道を選びました。
―そうなんですね。両方とも名店ですね。それが、何ゆえ、カレーライスなんですか?
調理師学校で勉強してから、いろいろな料理店で修行していたのですが、ある時期に勤めていた店でカレーを作ったんですよ。
お客さん用じゃなくて、まかないとして。
―それが評判だった、というわけですか?
いえ。真逆で「こんなマズいカレー食べたことがない」と親方に捨てられるんですよ(笑)。
ポークカレーつくっても、チキンカレーつくっても、全部捨てられて、同僚というか先輩に
「こいつのメシ、まずくて食えないから、なんかつくってくれ」って。
―うわあ…でも、想像できますね。私も学生の頃アルバイトしていた店が、そんな感じでした。厳しい親方と板前さんたち、みたいな(笑)。けど、カレーって正直、誰が作っても、そこそこ食べられるでしょう?食えなくなるほどマズいカレーって無いですよね、どう考えても。
本当に悔しくて悔しくて(笑)。
で、いろいろつくって、最後の最後、はじめて皿が空になったのがタイカレーだったんです。
―ついに親方が認めたんですね。
ハイ。自分の中で相当自信になりました。
―もしかしたら、それも親方の指導だったのかもしれませんね。
そうですね。
いい経験でした。
―それがきっかけで独立ですか?
いえ。それからまたいくつか修行して。
大手企業の社員食堂で働いていた時、東日本大震災が来ちゃいまして…
それから、尾島町(塩竈の繁華街)でバーを出したんです。
そこでもカレーが評判よくて、よくお客さんが食べてくれていました。
ただ、塩竈だとお客さんが自分の知り合いだったり、近しい人ばかりで、ついついオマケしちゃったりして…(笑)
―ストイックに商売できない、という感じですか?
ですね。
なので、カレーの移動販売に転向しました。
―なるほど、もうカレーがメインの商材として固まったんですね。移動販売はいかがでしたか?
これが、本当に売れなくて(笑)。
多分、ここが一番苦しかったというか、挫折ですね。
で、それをやめて、テイクアウト専門の店にしたのが2018年6月です。
ところが、イートインの要望がすごく多かったんですよ。
―お客さんも増えてきた、ということですね。
ただ、お店の間取り、客席側にトイレがないので、イートインとしての許可が下りなかったんですよ。
お店にトイレを増設すると、またお金もかかっちゃいますから。
それだったら、別の処にお店を出しちゃおう、という発想で2019年2月、多賀城に昼は店内で食べられる、夜はバーというお店を出しました。
―コンプライアンスを守れないと世間の目は厳しいですしね。多賀城にお店を出してからは、どうですか?
せっかく中で食べられるお店にしたので、夜も営業しています。
夜はお酒をメインにしているのですが、他にも肉料理などを出してます。
あとは、60歳以上の方限定で、金曜日のランチタイムが終わってから夜の営業が始まるまで、カラオケが歌えるようにしています。
―カラオケですか?そういえば、カラオケ用のモニターもありますね。
そうなんです。
実はカラオケやるかどうかすごく迷ったんですけど、思いのほか、ニーズがある、ということで始めました。
実際、お客さんでもカラオケを歌う方は多いです。
で、年配の方も多いので、日中はカラオケを歌ってもらう、と。
―しかも、持ち込みアリじゃないですか。
ある意味、地域貢献というか、自分が出来ることって何かな?と考えまして。
本当は「こども食堂」のようなものをやりたかったんですよ。
でも、まだ自分の店が軌道に乗らないうちに、力のないうちにそういうことをやっちゃいけない、と中学の恩師から諭されて、じゃあ今の自分が出来ることって何だろう、というこ
でカラオケを。ようするに、お茶菓子もって集まる場所を提供している、という感じですかね。
―素晴らしいと思います。ちなみに、ランチは平日のみ、ということですけど、夜は?
いまは、オープンしたばかりなので、とりあえず毎日やってます。
―すごいですね、遊ぶ暇もないじゃないですか。
根がケチなんですかね、休むのがもったいない、という気になって。
賃貸ですから、開けても閉めても家賃はかかるでしょう?
たとえば、一日当たりの固定費が1万円だとして、それはだまっても出ていくわけで。
でも、オープンさせておけば、お客さんが入って1万円の売り上げになるかもしれません。
それに、いまは、仕事していることが楽しくてしょうがないんですよ。
―そういう考え方、誰かに影響されたものですか?
(迷いなく)父のようになりたい、父に認められたい、というのはありましたから。
父の後姿を追いかけているうち、こうなったんでしょうかね。
影響といえば、さっきアドバイスをくれた中学の恩師の存在も大きいです。
自分は物事をひとつの方向からしか見なくなっちゃう方なのですが、先生からはイロイロな方向から見て判断するように、と教わりました。
―誰かを助ける、ということは素晴らしいことですけど、共倒れになっちゃったら一時的な支援になっちゃいますからね。松野さんは、いま、30代半ば。がむしゃらさだけで走れる20代から、周りも見渡しながら、まだまだパワー全開で走れる世代。これから、社会に出て行こうとする若者たちに、どんな言葉を贈りますか?
自分が偉そうに言うことじゃないですけど、ヘタなことを考えず、真摯に向き合うことですかね。
自分の行動って、自分が思う以上に見られてるんですよ。
ああ、見てる人はちゃんと見てるんだな、と…いいことはもちろんですけど、腹黒いっていうんですかね、ちょっとずる賢いことを考えながら行動することも、案外、見られてます。
だから、楽しようとか思わないで信念をもって、積み重ねた方がいいと思います。
―松野さんが、いまの仕事を積み上げていったら、次はどうします?
そうなったら、またお店を出したいです。
次はラーメン屋さんでもいい…いろいろなジャンルのお店を手掛けたいですね。
―すごいですね。一度は移動販売のお店で窮地に立たされて…そこで安定は選ばないんですね。
何でしょうね。
現状維持がすごく嫌なんですよ。
失敗することは怖くなくて、むしろ、チャレンジしていない方が怖いですから。
―最後に教えて下さい。松野さんの宝物って何ですか?
そうですね…これまでお世話になった人、自分に何かを与えてくれた人、ですかね。
いまの自分があるのは、そういう方々のおかげなので。
あとは、いま、一緒に仕事を手伝ってくれている彼女ですかね。
休みもないのに、本当に一生懸命やってくれて。
しんどい時も乗り切れるのは、彼女の存在が大きいと思います。
あ、そうだ。
宝物は彼女って書いておいて下さい(笑)。
一見、飄々としながらも、熱いエネルギーを持った松野さん。
いまいる場所に留まることなく、新しい場所へ向かって進もうとするガッツには、圧倒されそうになる。
そのせいか、話を聞いているうちに、不思議とこちらも元気になってくる。
気分が落ち込んでいる時は、松野さんに会いに行ってみてはどうだろうか。
話しているうちに、そしてピリっと辛いカレーを平らげた頃には、心も晴れ晴れとすると思います。
ひと:松野真樹さん
しごと:Dining Bar TOO
ところ:〒985-0873 宮城県多賀城市中央1丁目5−2
サイト:Twitter
執筆:竹田知広
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