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私のおじいちゃんとおばあちゃん

お盆。少しだけ実家に帰省した。

久しぶりのお墓参り。
お母さんの妹さんと、おじいちゃん、おばあちゃんがそこにいる。


偶然、実家のリビングの棚に
去年他界したおばあちゃんの、日記のようなものが置いてあった。

いろんな感情と思い出が駆け巡ったので、
忘れないようにここに綴っておきたい。



私がおじいちゃんおばあちゃんの家に行って遊んだ記憶は、小学校低学年くらい。3人兄弟の末っ子だから、家族の中では一番思い出が少ない方だと思う。それでも記憶の片隅に、淡くも確かな、楽しい思い出が残っている。




おじいちゃんとおばあちゃんは、昔から仲が悪かった。


私たち家族が行くと、「よく来たね〜!」と笑顔で迎え入れてくれるものの、おじいちゃんおばあちゃん同士は、口を開けばいがみ合い、喧嘩ばかり。2人が笑い合っている姿は一度も見たことがない。


おじいちゃんがいない時に、おばあちゃんは

「あんな人、早くあの世に逝けばいいのに。」

「絶対同じ墓に入りたくない。」

なんて愚痴を日々呟いていた。
物心もついていない私は、「おじいちゃんのこと嫌いなんだ〜」なんて思いながら、呑気にだるま落としで遊んでいたと思う。


おじいちゃんはというと、おばあちゃんよりもさらに口が悪く、まさに亭主関白。文句だけ言って、自分は何もしない。気遣いをしている姿なんか見たことがなかったし、今思えば昭和の象徴的な夫婦だったのかもしれない。

いつも応接間で庭を眺めながらタバコを吸うおじいちゃん。横に行って、一緒に庭を眺めるのがちょっとした楽しみだった。(いつも臭くてすぐに部屋をでてたけど。笑)


そんな2人を見て、家族みんな"不仲"と位置付けていて、私もそれを疑うことはなかった。





そんなおじいちゃんは、約10年前に脳出血で倒れ、そのまま他界した。
私が中学生のときだった。


そのとき、おばあちゃんは腰を悪くして施設に入っていた。

おばあちゃんも、私たち家族も、
おじいちゃんの最後を見届けられなかった。




おじいちゃんのお通夜。

物心ついてからお葬式に参列するのは初めてで、何が何だかわからない私。
ただただおじいちゃんが亡くなったという事実に呆然としていた。


おじいちゃんと最後の対面。

息をしていない人の顔を見るのが怖くて、あんまり顔を見れなかった。


ゆっくりと車椅子で近付いて行ったおばあちゃん。

みんなが見守るなか、涙ながらに放った言葉を、
私は今でも忘れられない。






「どうして先に逝っちゃったの 私を置いていかないで」



「大好きだったよ」





当時のおばあちゃんは歳でボケていて言葉もめちゃくちゃだったけど、
その時の言葉だけは、はっきりとしていた。


涙が止まらなかった。





おばあちゃんの日記を読み返す。

1ヶ月分もないような量だが
おじいちゃんが他界する数年前から書いてある。


施設に入れられたことを、とても嘆いていた。


「自由が奪われた」
「夫に会えない」
「死んだ方がマシ」

「生きて 1日でも2人で生活しようね」


そんな内容で溢れていた。とっても綺麗な字だった。




おばあちゃんは、おじいちゃんを心から愛していた、きっと。

おじいちゃんも、おばあちゃんを心から愛していた、きっと。


50年連れ添って、何があったのかは誰もわからない。
2人がどんな感情を抱いていたのか、誰もわからない。
知っているのは2人だけ。そこに私が想像する余地などない。
絶対に邪魔をしたくない。



おばあちゃんは今、おじいちゃんと一緒にいる。
私は会ったことないけど、お母さんの妹さんもいる。


きっと、今日もいがみ合っているだろう。
おばあちゃんは台所に立って、あずきバーを妹さんと一緒に食べたり、おじいちゃんはタバコを吸って、孫の手で背中を掻いているだろう。


でもこっちの世界で、最後一緒に会わせてあげたかったなって、、ちょっと思う。



とりあえず、これからも健康で楽しく過ごせるよう見守っててください。


あと私のお母さんは少し寂しそうだから、帰って来れる時は実家に帰るね。




追伸

お父さんもお母さんも、私の名前をお姉ちゃんと言い間違えるので、そっちの世で怒る準備しておいてください。


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