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[塩田ドキュメンタリー#1] 神について

話題その1:過去の私の宗教論


人は何かに信仰心をもつことがある。「神」がいい例である。たとえば、父・子・霊の三つの様式をもつ神。唯一絶対にして、全知全能であり、そしてあらゆる場所に遍在している神。天空神。人によっては、自分の尊敬する人物をそれに位置付けることもある。

かつて、私は無神論に傾倒していた。その時私は「神」というものを「人に何らかの形で救いをもたらすもの」と解釈していた。しかしどうだろうか。神は果たして、この戦争だらけの世界に救いをもたらしたのだろうか。私を救ったのだろうか。そこから始まって、最終的に、「神は自分や世界を救ってはくれない。神は人類が逃避するためのもの、または大義名分にすぎない」なんてことを考えていた。

この辺の一神教暴れすぎ。こわい。

実際宗教、すなわち神への信仰は大義名分になりえる。エルサレムを奪還するために派遣された十字軍だとか、イスラム過激派なんかがそうである。神のために、教会のために、自分たちの宗教の中の共通の敵と戦う。そういうことは歴史上何度もあった。

だからこそ、神は人を救うどころか、それを信仰するための教えの違いを引き起こし、戦争を何度も起こしている。だから神の存在というものに、私は懐疑的だった。

しかし、そんな私はいま、神道を信仰している。

話題その2:独特な民族宗教


神道における神というものの解釈はほかの宗教と違って独特なものだ。「八百万の神々」もそうだし、なんなら普通の人を神として祀っている。菅原道真を祀っている北野天満宮がいい例である。また、北野天満宮とは形式が厳密には異なるが、これまでの戦いで死したたくさんの人々を英霊として祀っている靖国神社もそうだ。

それに「付喪神」なんて概念があったりなんだりで、神道における神というものはなんか近いのか遠いのかよくわからないのだ。そこが非常に面白い。

神の存在を感じること。正直それは特にない。私は子供のころからよく神社に併設されている公園で遊んでいたが、全然神からの視線というか、そういう超常的存在の目は一回も感じたことがない。

それもそのはずである。本当にそういうのが”いるかもしれない”地域は大体禁足地になっているからである。

話題その3:禁足地


神道、というよりは天道信仰にまつわる場所なのだが、「オソロシドコロ」と呼ばれる禁足地が日本には存在する。

不気味だなあ。

それは長野県の対馬にある龍良山の山中に所在しており、もともとそこは天道信仰の中心人物であった超能力者「天童法師」が祈祷なんかの儀式を行う場所だったそうで、その後は彼の墓所になったらしい。それでなんやかんやあって強いタブーの地になった。。みたいな話である。

で、まず驚きなのがそもそもオソロシドコロが所在する龍良山それ自体が御神体とか聖地の類であるという点だ。それゆえ立ち入る人が全くおらず、大昔から今の今まで原生林が保たれているという、結構すごいところである。

かつては入ったら「命を落とす」といわれ、その中にあるオソロシドコロに関しては本当にタブーそのものだったらしい。私はまだ全然学生なのでそこに訪れたことはないが、登山関係のブログなんかを見ていると、その恐ろしさがよくわかる。

細かいことはこちらのブログを参照してほしい。

【255日目】強烈な禁足『オソロシドコロ』 | ひのもと行脚

fawtblog.com


ほかにも面白い禁足地として「沖ノ島」があげられる。

そこもオソロシドコロにおける龍良山同様島それ自体が信仰対象となっている。まあこれ以上禁足地を紹介すると話が逸れてしまうので詳細は省くが、かなり面白いのでぜひとも調べてほしい。


さて、話の軸を一度神道に戻そう。

なぜ典型的な無神論者であった私が神道を信仰しているのか。


理由は単純である。神道のもつ独特さに惹かれたからだ。


まず神道には教祖もこれと言った教義も、それどころか救済も何も存在しない。とにかく神がいる!こういうことをする!祀る!祭りもする!神話もあるよ!みたいな感じで、キリスト教のように「信じる者は救われる」とかそんな感じの宗教ではない。そのくせなんか近いのだ。

ごはんを残せば「罰が当たる」とか、虫を殺しても「罰が当たる」とか。別にそれが教義でもなんでもないのに、生活に馴染んでいる。

そういう神道の面白さに惹かれて、今現在、神道を信仰しているのだろう。

余談

余談だが、読者の皆様はニンテンドー3DSを触ったことがあるだろうか。多分私と同年代の方々は触ったことがあるかもしれない。その3DSで配信されていたフリーゲーム「めがみめぐり」をご存じだろうか。



私が神道とあと鉄道に関心をもつきっかけになったゲームである。

ストーリーはほぼ覚えていないのだが、なんか「ツクモ」という付喪神の女の子が、一人前の女神を目指してすごろく形式で旅をする、というゲームだ。これが面白くて、日本神話に出てくる女神が個性的にデフォルメされて出てくるからまあ面白いし、先述した沖ノ島に大きくかかわっている「宗像三女神」なんかも出てくるし、キャラかわいいし、服とか料理を集めるのが楽しいし、とにかく日本の色々な駅を電車で回れるのが旅行好きからしたらたまらないし、、、

とにかく素晴らしすぎるゲームだった。マジで服が欲しすぎてクソほど課金していた。

サ終したけど!!

さて、ここまで神についていろいろ話してみたが、結局信仰なんて人それぞれである。ないならそれでいいし、あるならそれはそれでいい。

とにかく自分の考え方を持つことが一番大切である。これを機に、一度、信仰や神などといった、少しだけ宗教チックなことについて、考えを巡らせてみてほしい。


2024/5/13(月)

塩田1960

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