見出し画像

鈍感力を必要とする時代



企業勤務が長いので、徐々に変化している事について“衝撃的な驚き”がなさすぎて気が付いていないことがある。
私の場合、二度の産休・育休を取得。更に、一旦退職し(復職ライセンス取得の上で)復帰している経験者。
そんな1年間以上の休職を数回経験してきた私だからこそ、同じ会社内での微妙な変化を感じ取ってきた。
世の中の変化や法律改正などももちろん影響があるが、もっと微妙な単位での違いを感じ、引っ掛かっている事がいくつかある。




その1 なぜ伸ばす???


3年半の育休を経て戻ってきた際に、違和感が拭えないと感じたのは会話の語尾。
「お願いしま〜す」
「失礼しま〜す」
「は〜い」
「お疲れさまで〜す」
「ありがとうございま〜す」

何で「はい」ではなくて「は〜い」になったのか?いつから?
社内の会話だけそうする事になったのか?
パワーハラスメント対策なのか?
最初は気持ちが悪くて仕方なかった。だらしないというか、馬鹿にしてるように聞こえるというか…
ところが数ヶ月経つころにはすっかり慣れて使っていた。不思議なものだ。
だか、クライアントや関連会社との電話トークでは私は使わない。そのあたりの線引きが曖昧な人は見境なく使っている。
そして、上司は注意をしない。見て見ぬふりしているならばまだ救いようがあるのだが、感覚が麻痺してしまっているのか、無関心なのか、若しくは良くない事すらを理解していないのか(最悪のパターンだ)
注意をされない若手は、きちんと指導してもらえる機会を逃している。(私にはそう見える)
コンプライアンスを研修を行なっている立場の私としては、機会あるごとにやんわり問題提起しているが、そんな方法では追いつかない。
企業組織ゆえにまどろっこしい。正義感をかざす人間は必ず潰される。




その2 笑顔は不要…?

時代の移り変わりなのか?
ストレスフリーの推進なのか?
今いる部署が特異なのか?
お辞儀も会釈も笑顔もあまり必要なくなった?
本当に?いつのまに?


視点を外に向けてみると、世の中もそんな傾向なので仕方ないのかもしれない。コンビニもスーパーも、笑顔が少ない。
私の勝手なイメージではあるが、笑顔の必要がないのは葬儀関連、裁判所関連、カリスマ美容業界、等。
営業畑育ち(営業部門に長く所属していた)の私は、人と接する時には自然と(クセなのか習性として染み込んでるのか)感じよく振る舞ってしまう。
自分が買い物する際にコンビニのレジでも、無言無表情で商品を渡す店員さんについつい笑顔で『ありがとう』と笑顔で無意識に言ってしまう。お客さんである私の方がサービススマイルしているのが何だか寂しい。
その反面、百貨店やスタバへ行くとホッとする。
お客様対応の笑顔が自然に溢れているから安心する。大げさかもしれないが、“私の感覚は間違っていない、よかった、ここで買い物して(飲食して)良かった”と心底思ってしまう。


その3 ぶつかっても平気?


人の前を遮って通ったり、人の前にある物を取ったり、椅子にぶつかったり、気にならないの?
ちょっとしたお詫びの言葉が咄嗟に出ないのはなぜ?
駅の構内を歩いていてもぶつかる人が多い。道を歩いていても、店舗内で歩いていても、肩がぶつかる、カバンがぶつかる。
なるべくぶつからないようにどちらかに寄ることもなく、ぶつかっても何事もなかったように振る舞う。
世の中がドライ傾向?なのだから、社内もドライが主流なのだろう。
それが良いか悪いかは別問題として。



通りがかりのお家のモッコウバラ





スルーする力を待つ人が生きやすい

企業では、上下関係、派閥、年功序列は依然として根強く残っている。表向きは、コンプライアンス強化を掲げて、委員会も設けて、研修や確認テストなど定期的に行なっている。
しかし、反省しない(できない)・新しい事へシフトできない(したくない)、化石の心を持った人が多すぎて、コンプライアンスの正統なスローガンへと近付くことはない。
その煽りを受けて気にしてストレスを溜めている人は疲れ、辞めたり病んだりしているのが現実であり、改善などされていない。
むしろ、ハラスメントに対する歪んだ捉え方をする人への武器にさえなっている。
「ハラスメントと言われるから」と公言して、一部の派閥間の人間だけでコソコソする。
その姿を見せつけることこそが、常識人にとっては十分なハラスメントであり、【新種のハラスメント誕生】である。
しかし、気にしない人(以前だと気の利かないと言われていた部類だった人)の方が生きやすい世の中へと様変わりしている。
天然のスルー力を持つ人が颯爽と生きていける時代の到来なのだ。






鈍感力を養う

元後輩女子と話している時に
『今を生きるには、鈍感力・スルーする力が必要と言われますがなかなか難しいですよね』と言われてハッとした。
そうか、鈍感力!スルーする力!
webでは、鈍感力を養う方法についてこんなにもたくさん取り上げられてるのか?と思うくらいの真剣な講座や身近な心掛けや訓練方法、などがあった。
これは奥が深そうだ。一朝一夕で心掛けや捉え方を一新するのは難しいだろう。


語尾を伸ばすこと、笑顔がないこと、ぶつかっても知らん顔すること、これらも鈍感力が備われば全く気にならないのだろうか。
今後も鈍感力を模索しながら生きていくしかない。
鈍感力のある人こそが颯爽と生きれるこの時代なのだから。



shio shio

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?