どうしたらいいんだ!人見知りと先行する思考


わたしは超がつくほど人見知りだ
その場限りのなあなあなやりとりは得意なのだが、2回目3回目と会う回数を重ねるごとに元気がなくなっていく。

とくに仕事先なんかそうだ。わたしは心の扉が固く、心の壁は厚さ25メートルくらいある。趣味がかなりニッチなのもあり、人と自分から共有する話題が少ない。ゆえに年々分厚くなっていく。
たまに抜け道をみつけて入ってくる人もいるのだが、本当に稀だ。

わたしはひとり遊びが得意だ。創作をする中で登場人物のセリフや行動パターンを考えたりするので、「こうなったらこうなる」みたいな展開のパターンが組まれているのだ。
なので、「もしかしたら迷惑なんじゃないか」「もう予定あるんじゃないか」と極端に「断られる」ことを恐れてしまう。
「絶対断られる」みたいな自信がある。自信がないことに自信がある。

創作においてストーリーの展開はおおよそ「へし折られる」ことがよくあるからだ。
わたしはそのパターンばかりがどうしても予想されてしまう。
または、シミュレーションだけで満足してしまう。人と関わることが苦手すぎて、脳内会議がめちゃくちゃ得意になってしまった。
脳内で行われたシミュレーションによって、1/5くらいは満足感を得られるので、「じゃあいいか」になってしまう。

いまだに小学生から情緒が発達していないのか、本当に子供のようなはにかみやになってしまうのだ。治したいと思うが、それはなんか社会の思う壺のようで嫌だ。

もっと上手いこと世間と付き合っていきたい。経験しかないのか。
脳内に経験チップみたいなものを埋め込んで欲しい。
もしくは脳内チップから人格操作ができるような電気信号を送って欲しい。

こういうことばっかり考えているから友達が少ない。
わたしにとって「普通の会話」はこういうことが多い。整理されていない、カオス、飛躍的、冗談、嘘、適当、もしもの話、映画、小説、マンガ、創作、TRPGなどのオタク話。

一般の会話ほど答えを慎重に探る。難しくないか、普通の会話。

一般的な会話は当たり障りなく話せる自信はある。ある時ふと「普通の会話」をしている人の真似を、しているのでは? と疑問がよぎる自分がいる。自分が特別かのような痛い考えだと思って、いままで目を背けて誤魔化していたのだが、もしかするとみんな同じかもしれない。
社会人になると好き好んで会話などしていられないらしい。わたしは好き好んだ会話しかしたくないので、毎日人間情緒訓練である。

この苦痛はわたしが現実の世界から目を背けているということだろうか。そういうことだろうか。そういうことだろうな。

↑こうやって脳内で結論を出してしまうので、人との会話をしないのだ。

人見知りというか、「引かれたくない」みたいな気持ちが強いのかもしれない。

失敗を極端に恐れる人間である。何をもってして「失敗」というかわかってはいないが、ゲームでも1ダメ喰らうだけで心が痛むのだ。
自分自身となったら怖すぎるに決まっている。

こう言ってはいるが、治す気はない。
ガワをうまく作ろうと思っている。

というわけでそのうち、外面用の設定でも考えておこう。

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