てぶくろ
「もう一回言って。ひと」
彼女は編み物をしながら言う。なかなか答えないでいると、ちらりと視線だけを寄越される。むっとつぐんだ口を動かし、ため息をつく。
「しと」
ふふ、と彼女は笑う。
「江戸っ子ってほんとうにひ、がし、になるのね」
「もういい? 満足した?」
うんざりした声に、彼女はますます上機嫌になった。もう編み物の手は止まりつつある。膝に編みかけの赤い手袋を置き、ぱっと顔を上げる。
「コーシー入れてよ」
「コー、ヒー、ね」
ため息混じりに僕も笑った。
僕だってまんざらじゃないやりとりだ。
初めて会った時から、彼女は僕の発音を珍しがっていた。方言萌えだとか、何とか、今よりも若かった彼女はとにかくヤバい、ヤバいと連発していた。やかましすぎるくらい明るくて、気が強い。落ち着いたけれど、今も変わらない良さだと思う。
コーヒーメーカーでブレンドコーヒーを蒸らしながら、リビングのソファーにいる彼女の姿を見る。テレビのクイズ番組を見て、問題を考えているらしかった。
「手袋、誰にあげるんですか」
コーヒーを差し出し、彼女の隣に座る。冗談まじりの敬語で尋ねると、
「欲しいならさしあげますけど」
と言って、彼女は笑いながら熱いマグカップの縁に唇をつけた。
「前にもらったのがあるんだけど」
「でも作っちゃったから、使う?」
彼女はそう言って小首を傾げた。
「あげる人、決まってるんでしょ」
「あ、しと。ふふ」
「ひ、と」
いつもこれで話は中断する。彼女は何が楽しいのだろう。ときどき、子供みたいに延々と同じことで喜ぶのだ。
彼女はふっと、笑みをやめた。
「もらってくれるといいなあ、と思うけど」
「……そんな緊張することないよ」
僕はコーヒーを飲む。
「何かあげるのなんて、ネクタイ以来かもしれない」
彼女は頰を包み長いため息をついた。
彼女の家は、離婚して、母子家庭だった。彼女が父親に会うのは年に一度、多くても半年に一度の頻度だった。
「あのね……お父さん、転勤族で、お母さんと地方で出会ったの。お父さんも、ひとを、しとって、言ってたんだ」
彼女はそう言って、柔らかな毛糸の手袋を握った。
「お父さんは江戸っ子か。赤かよ、てやんでいって言うかもね」
鼻腔に漂うコーヒーの香りを感じながら、僕は笑った。
「何それ」
彼女は困ったように笑い、僕の背中を叩いた。
「ね、もう一回言って。ひと」
「しと」
「コーヒー」
「コーシー……」
彼女は寄りかかり、額を僕の二の腕に押しつける。彼女の手に、なんとなく、手を重ねて握りこむ。
もうすぐ、彼女の父親は還暦を迎える。
その日に僕らは、会いに行く。
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