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【雑記】ナンのために生きてきた


労働の意思を見せろと父親から電報(SMS)が届く中、無職を謳歌している。
自分の仕事がキツかったのかと言われると、まあ世の中の大半の仕事よりはきつくはなかったんじゃないかと思うが、そこはちょっと受け持った仕事内容による。

小さい頃夢にみた仕事に就いている人間はほんのひと握りだろうし、就職やバイト先で見つけたやりがいを持って働いている人がいたとしても、それもまた、一握りだ。

「何のために働いているのか」ということを考え出したら、人間は働けなくなる人も多いんじゃないだろうか。わたしは今それだ。
金と自分の生活以外になんの働く必要があるというのだろうか。
どれだけ上っ面を作ろうが根本がこれでは仕方がないのである。

無職になってわかったことは、労働はどれほど人間のプライベートな時間を奪っていたかということだ。
休憩はあるものの8時間労働(残業があると伸びる)、仕事と人間関係(たとえ良好だったとしても)による疲労は夜の数時間と休日で取れるものではない。
休日も休日ではなくなる。

コロナの影響で外出も制限され、手元にある娯楽といえばスマホやらパソコンやらテレビやらゲームやら、電子機器である。そして最も手軽なスマホに逃げがちである。

労働をしていた期間、ずっと新しいことができずにいた。
ほんのちょっとのこともだ。
通勤は創作活動が出来ず、Twitterに逃げた。
残業がある日は半額の弁当を買った。ほぼ毎回同じ弁当だ。
休日は昼まで眠り、見る映画を決められずにYouTubeの動画を延々見続ける。
変わり映えのないルーティンを繰り返し続けていると、本当に新しいことが出来なくなるのだ。

気分転換が出来る人はえらい。わたしはその方法がまるでなかった。
創作が趣味の私は、それに関する趣味ばかりを持っていた。読者にしろ映画鑑賞にしろ、何かしら自分のインプットにしなければならないと思っていたため、脳が休まる時がなかったのだ。

そのため脳が仕事と創作(趣味)以外の行動に省エネモードをかけていたのではないかとさえ思う。選択が一番ストレスかかるから。

無職になって、生活のリズムが崩れた。
大学4年のころの生活に似ている。とても怠惰だが、精神の負担は少なくて済んでいる。

働く、ということがプレッシャーでたまらない。

社会は単に労働者を求めているに過ぎず、過度な期待などはされていない、と思っている今の状態では、多分前職と同じようなところにしかいけないと思う。

でも求められるとストレスで死ぬ。
もうだめである。

すこしでも新しいことに慣れようと,ずっと行きたかったインド料理屋にきた。
インド料理に限らず、外国料理専門の店は自分にとって敷居が高い。なんか、マナーとかあるのか色々考え込んでしまって、躊躇してしまうのだ。

わたしは、失敗というものが極端に怖い人間だ。もし失敗したら、としてもいないことに対して、思うだけで動悸が激しくなる。
その動悸に少しでも慣れなければならないと思うと同時に、何で慣れなきゃならねえのだドチクショウと思うのである。

逆張り人間というか、ねじ曲がった難儀な性格であると承知している。他人には見せていないつもりだが、根本の性格を知っているが故、えげつない自意識と葛藤に苛まれるのである。
人は対して自分に興味がないと言い聞かせるも、いつまでも特別でいたいと思いたい、イタイままだと自分に死ぬほど呆れる。

上記は前職中、夜中に泣きながら考えていたことであり、無職となった今ではちょっぴしの「働かずに飯食ってすまん」の罪悪感でインド料理店に入った。

店内はやっぱりどことなく異国の雰囲気がある、と思ったがインドには行ったことがないので「こんな感じがインドか〜」と思うことしかできないのである。店員はもちろんインドっぽい人たちだった。日本語はめっちゃうまい。テイクアウトの予定だったけれどすすめられるまま席に着いてしまった。

とりあえず、ナンとマトンカレーのセットを頼んだ。もちろんラッシー付き。

前職、まだ飲み会の出来る頃も、一度だけインド料理屋にいったなあとか思い出しつつ待っていると料理が届く。

銀の盆に乗せられたマトンカレーとナン。

いやナンでっっっっか。
ナン、でっっっっっっっっか。

銀の盆からナンはめちゃくちゃはみ出ていた。薄手というか、平べったいにしてもナンはめちゃくちゃデカかった。

そうだった、前インド料理店に行った時もナンはめちゃくちゃデカかったことを思い出し、無職になってから一日粗食を2食食ってる身に耐えられるか心配になった。

でもめちゃくちゃ美味しそう。日本の「カレー」と感じる香りとはまた違うスパイシー感。最高〜。

ナンを手で千切ろうとする。激アツで火傷するかと思った。

こんなにも手の皮まで弱くなってしまって……と半泣きでおしぼりで冷やしまくり、ちょっと冷ましてから食べた。

ナンはちょっぴり甘めで、カレーとの相性は抜群によく、もう少しカレーを辛口にしても良かったかな?と単体でカレーを食べるとあとからピリッとくる感じがした。

ラッシーもめちゃくちゃ美味しかった。わたしは味をすぐ忘れるタイプなので「ラッシーってどんなんだっけ?」となっていたが飲んで思い出した。まろやかで甘くて、カレーの辛さが中和される。甘さを摂取すると辛さが欲しくなる。辛さを摂取すると甘さが欲しくなる。無限ループの完成である。

しかしナンでっか〜〜〜〜〜。
弾力があって、腹持ちがいい。3分の1くらい食べたところで腹がミチミチだった。
しかし不思議なもので、1時間くらいかけて食べていてあと4分の1くらいになった時不意にお腹がすいた感じがする。「足りないかも?」と少し思う。ナンはおかわり自由なので頼もうと思えば頼めるが、もう一枚同じ量が来るかと思うと流石に無謀なのでやめた。

結論、とても美味しかった。多分働いている時に行ったとしても、結論は変わらなかったのだろうが、気になっていたインド料理屋に入れたということ、それだけで無職になってよかったと思った。

労働の意義はまだ見出せないが、無職のわたしは、今日はナンのために生きた。

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