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お話「手紙」

思いの丈を書き連ねるか
余白を残してしたためるか

最後の一枚。
何度も失敗して、くしゃっと丸めて捨てた便箋が屑箱で山を作っている。
あなたに言いたかった、伝えたかった事がたくさんある。だけど書きたい事がたくさんあって、あり過ぎて収拾がつかなくなって、間違えて書き直す。そんな事を繰り返している。ペンを持つ指先、中指に筆圧で押されて赤くなった跡が残っている。
どうしたらよいのか。一息つこうと冷蔵庫を開ける。ふと目についたのはお茶ではなく缶ビールだった。今日はこれにしよう。普段なら決して手に取ることのないビールを取り出す。
いつ来てもいいように冷蔵庫には必ず数本の缶ビールを用意していた。
「このビールはいつから冷やしてあったのかな」庫内ですっかり馴染んでいる最後のビール。もう用意することもない。
一口含み飲み下す。やはり苦い。お酒に弱いとわかっていながら呑みたいと思ったのは、何故か。
缶ビールを片手にテーブルに戻り、どう書こうか再び便箋に向き合う。
もう丸めて屑箱の山には積めない。そんな事なら下書きすればいいのに、そう思うかも知れない。だけど下書きを見ながら書くのは、〝今のこの瞬間の気持ち〟と違う気がして、どうしても書き写す気にはなれない。

最後の一枚。
和紙の様な感触の紙質。空模様の絵が透かしで入っているお気に入りの便箋と暫くにらめっこをする。それから、ガサゴソと徐ろに屑箱の山を漁り書き損じた便箋を広げる。しわしわになった便箋を何枚も読み返して頭の中を整理して、最後の一枚に思いをぶつける。もう失敗はできない。
一つ大きな息をついて再びペンを握る。

あれだけたくさん書きたい事があったはずなのに、結局色々と端的にまとめて整理して、最後の便箋に書いたのは、ほんの数行。その数行に随分と時間を取られた。
「結局、そうなるのね」
いつもそうだった。言いたい事があるのに言い出せずに押し黙る。嫌われるのが嫌で何も言えなかった。

「何を考えているのかわからない」
そう言われたのは、茹だるような暑さが残る夜だった。
フフッと自嘲気味に笑って、ほろ酔いの頭を冷やすべくビール片手にベランダに向かう。
蒸せ返る風が頬にあたる。暦ではもう秋だというのに、いつまで経っても秋はやって来ない。
夜風にあたりながらビールを呑むが、後はもう呑む気にはなれない。ビールじゃなくてお茶にしておけばよかったかな。
ベランダから眺める夜空は、空気が淀んでいるのか滲んで見える。だけど滲んでいたのは空気が淀んでいるからではなく、涙のせいだと気づくのにそう時間はかからなかった。
まだ癒えていなかったのか、癒えていないから思い出して涙を流すのか。
いやそんな事はないと、ベランダ越しに身を乗り出して顔を上に向けて空をもう一度見る。


次に見たのは夜空ではなくて、宙に放り出された缶ビールだった。暑さの中で身体だけが妙に冷たい。
(手紙には何て書いたんだっけ)
(ああ、そうだった。だけど、あれじゃまるで…)

涙で濡れた頬にビールの雨が降り注ぐ。