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ご著書を拝読して-渡邊洋次郎さんへ

 新型コロナをめぐる報道が盛んになり、突如として一斉休校が始まった昨年の三月、東日本大震災からちょうど9年が経った日の大阪・西成。
 研修会のあと付いて行った居酒屋では、ちょうどテーブルの向こう側の席でお話しできかったけれど、それから随分時間を置いて今回、渡邊洋次郎さんの『下手くそやけどなんとか生きてるねん。: 薬物・アルコール依存症からのリカバリー 』(2019, 現代書館)を読み、大変感銘を受けました。

 以下、著者の渡邊さんにお送りした感想を、ご自身からのリクエストもあり、この場に転載します。渡邊さんの半生の結晶であるこの本が、一人でも多くの読者を得るきっかけになればと願います。

 渡邊さん、少しお時間をいただいてしまいすみません。実は手元にあったものの、改めて手にすると、まだきちんと読めていない状態だったことに気付き、今一度最初から読みました。そして本当に素晴らしい本だと思いました。(うっかり者の私に)機会をくださり、ありがとうございました。とくに第一部第二章の最後の部分は、普段ものを書くことを意識して生活している私も、このような美しい表現を真実のものとして紡ぐことは到底できないだろうと痛感するほどに、たいへん感動的でした。

 第一部、第二部とそれぞれが非常に啓発的で示唆に富む内容で、例えば末部で紹介されているアディクション・ハイスクールの事例ひとつとっても、いまの日本の教育が目指すべき姿を考える大きなヒントと感じました。今はまだ「汲めど尽くせぬ」印象ばかりが残り、きちんと応答ができないでいますが、今日は渡邊さんのご自身の体験をつづられた第一部を読んで、とりわけ印象的だった箇所について私が思ったところを、まず言葉にしてみようと思います。

 10代から30歳に至るアディクションの過程の描写は、正直、読み手として心を添わせることが難しいところがなかった、と言えば嘘になります。が、読み進めていくうちに、それは感覚や刺激の過剰や飽和のなかで、(感覚的な感情ではない)本当の思いが描写に現れていなかったからだと、私は思うようになりました。そして、その読み始めの印象はクリスマスソングのエピソード以降で完全にひっくり返ります(改めて感動的でした)。とても抽象的な表現になりますが、感覚されるリアルものを超えて、目に見えない命(もはや亡くなられたお父様も含め)こそをありありとリアルに感じられたとき、何か本質的な大きな変化が起きたのだろうと感じました。

 渡邊さんは本のなかで「自由」という言葉を「かつては我慢の意味が分からなかった物理的な束縛のなさ」という意味で使っていました。しかしその言葉づかいと対照的に、この変化が本当の意味で「自由」の始まりだったのではないでしょうか。それが最も如実だったのは、アメリカで「条件を付けない無償の愛」に心を動かされるエピソードです。無条件に相手を肯定する、とはつまり、ただ自分の意思のみで「相手を信じよう」と思うから信じる、という究極の自由の形だと思います。そしてそれは、自分がその結果として傷つく可能性を、さらにその可能性を受け入れている自分を肯定できるという、本の後半で度々語られる「弱くあることの肯定」を抜きには不可能なものでしょう。
 さらにその境地に人が至ったとき、感謝という感情がおのずから芽生えるのだということ、それも私は渡邊さんの本から学びました。つまり、真の自由を生きる人の感情は感謝だということです。結論だけ取り出すと、きな臭い宗教的な説教のようなことの真実に気付けたことが、おそらく私の感動の源泉(のひとつ)だったろうと思います。感謝という感情は、人とのつながりをうちに含みます。つながりのなかでこそ、人はリカバリーできるという渡邊さんの力強いメッセージも、こうした一連の背景があるのではないかと私は考えました。

 何だか勢いがつき付き過ぎて、大上段に偉そうなことを書きすぎてしまったきらいがあります。何より変てこりんな感想になってしまい大変恐縮ですが、こうした本を物してくださったことへの一方的な感謝をお伝えできればと思いました。ありがとうございました。

2021年2月17日
中里晋三



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