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反抗息子サクラサク🌸(合格するまで)

新潟県で最も倍率の高い高校を受験した我が家の反抗息子。
小学校1年から県内で(わりと)難関校を受験した経緯とこれまでの歩みを振り返りました。備忘録です。

1.幼稚園~小学3年


転勤族なので、息子が4歳の中盤に熊本から富山県に移住しました。私は大好きで生きがいだった仕事を辞めて灰になっていたので
「あの仕事ができないなら、仕事はしたくない」と思い主婦になりました。
息子は英語の力と基礎学力、学習定着を目的としてベネッセのチャレンジとビーゴグローバルを始めました。当時ベネッセはまだ冊子のみの教材提供でした。ビーゴグローバルは始まったばかりでしたが本をタッチしてネイティブ発音が出るペンギンの形をしたペンなどがあり、英語教育うんぬんよりそれを使って遊び半分でした。


小学校2年の時に年の離れた妹が生まれました。小学校3年の時に、新潟県に転勤になりました。某田舎の静かなところに一軒家を借りました。新潟県の学力レベルが芳しくないと聞いていたので、教材をチャレンジからZ会に変更して紙ベースの勉強を続けました。ビーゴグローバルは本人のやる気が失せて小学2年でやめました。


2.小学校3年~中学校2年


小学6年の時に、新潟大学附属中学校を受験したほうがいいのでは(地元の中学の評判が悪かったため)となりましたが、息子が「めんどくさいからいい」といったのでやめました。地元の中学校に入学したら、学習に対する意欲が先生も、保護者も、本人たちも低すぎてかなり驚きました。息子はZ会の教材を「国・数・英」に絞って学習しながら教科書ワークを予習ベースで始めました。先生から授業計画表をもらって、常に1単元先を予習する方式で勉強を続けました。学年順位は「だいたい万年3番」でした。1番の生徒は盤石で定期テストはほぼ満点だったので3年間ずっと1番のままでした。2番の生徒は点数は息子と僅差でしたが意識高い系生徒だったので2番の地位+親も子も学校の役員という感じ。息子は「人前に出てドヤる」のが苦手でしたが面白おかしく楽しい学校生活は送っていたと思います。

中学2年の後半から反抗がひどくなり教科学習における両親のフィードバックに反応しなくなったため12月の冬期講習から新潟県で有名な学習塾に入れました。Z会は中止しました。


3.中2後半から受験まで


塾に行くのにも、定期テストの勉強をするにもとにかくやる気がなかったです。塾は送迎していたので嫌々通っていました(笑)学校の授業態度も悪くなり、担任から度々指導もありました。コロナで中学2年の3月からGW後ぐらいまで学校が休校だったのでプログラミング学習のために購入したデスクトップを自分で魔改造しゲーミングキーボードとゲーミングマウスをアマゾンでぽちり😩フォートナイトにあけくれました。あまりにも時間の感覚がなく没頭するためデスクトップを取り上げてお隣さんに「ごめん!3月まで預かってほしい!」と頼んで納屋に入れてもらいました。そのあと何度も殴り合いのけんかをして、私は膝じん帯を断裂しました(笑)本人はとにかく勉強が嫌いなことをアピールしてくるが(笑)親は近隣(新発田)の進学校には行って欲しくない思いが強かったのもあります。大学進学率が低すぎる・転勤時編入するときにランクを落とさなければならない時に相当落ちるというデメリットが大きかったからです。

親の思いはむなしく、新潟県統一模試が全9回ありましたが低い時は500点満点中240点、かと思えば400オーバーをとってくるなど乱高下の激しい結果で模試の度に一喜一憂。
私は健康診断で心臓の再検査を受けなければいけないぐらいでした(笑)いちばん最後の模試で同じ高校を受験希望の生徒の中で24番になったのが最高位でしょうか。本人は「え、簡単だったし」と言っていました。(平均点が高かったので他の生徒も簡単だったと思います)受験前一週間になっても、受験前日になってもyoutubeを見るのをやめませんでした。受験前一週間は「もうやる事ないし」「別に今やっても何も変わらん」と言い訳していたのを、尻を叩いて机に向かわせた記憶があります。新潟県の公立高校入試問題の過去問題を10年分入手して出題傾向を見極め、単元はピンポイントで問題を解いてもらいました。
机に向かうまではだらだらしますが、机に向かうとあれもこれも結構卒なくこなすタイプでした。たまに一緒に数学を解いて時間を競ってみたり、国語の●字以内書け問題を一緒に解いて採点者に伝えることは何か、ウィークポイントは何かを考えたりしました。うちの子の場合、文章を構成するときに圧倒的に「主語」と「目的語」が足りないことがわかり必ず入れて文章にするようアドバイスしました。社会・理科はほぼ暗記していたので問題はありませんでした。数学は好きだけどミスが多い印象だったので丁寧に書くことをアドバイスしました。英語はリスニング問題は完璧でしたので日本語訳の仕方を一緒にやりました。


4.受験当日



1日目も2日目も、「特にやることがない」といいくさって(怒)筆箱と受験票以外何も持たずに出ようとしていたので、川島教授の「脳トレ」を移動中にできるようDSを持たせました。自分たち(親)も、ちょっと信じられない状態。(普通、受験当日は参考書とか英単語や歴史年号暗記本とか持っていくよね???)と思って押し付けようとしたのですが、「調子狂うわ」と言われやめました。

1日目はうなだれて帰ってきました。
なんと英語の試験の時間を10分間違えていて
余裕で答案を書いていたら鐘がなったそうで。英語3問、数学は難しすぎて3問、空白で出したと。他はできたと言っていましたが
内申点:5教科テスト+筆答検査=3:7で
内申点が低いのと今までの模試も「他はできた」というときろくな点数ではなかったので


(終わった・・)と思いました。

これまでの9年間はなんだったのか。
私も落ち込んで泣きました。
あなたは緊張感がなさすぎる。
みんな当日のその不安やミスを防ぐために
かなりシュミレーションしてきてるんだよ。
などなど帰りの車の中で言ってしまいました。本人はただ落ち込んでいました。
息子と私の中で(こりゃ落ちたな)という感覚がありました。でも息子が言いました。
「おれ、生まれて初めて『この高校に入りたい』と思った。・・・筆答検査で挽回しようと思っても遅いかな?」

あぁ、もしかしたらまだ望みがあるかもしれないと思いました。
最後まで走ろうとしている。今までの反抗具合やレジリエンスを見ても根性がないと思っていたのに。一筋光が差した気分でした。


学校独自検査の2日目。
行きたいと思う気持ちが強くなったのか
いつもは起こされないと起きないのに自分で起きてきてさっさと用意しました。(1日目はしなかった)

「俺、昨日落とした数学と英語の分、筆答で取り返すわ」
と言って受験会場に向かいました。

新潟県で一番偏差値の高い県立高校は教育委員会から発出された筆答検査を今年も採用していましたが息子の受験校では学校独自に作成された問題が出題されました。高校生が研究しているテーマをそのまま出題していたようです。新潟色の濃い、興味深い内容でした。(稲の生育の問題とかね)

落ちたにしても
こういった状況を経験するのはいいことだと思いました。もし奇跡的に受かったら高校生の時分から、ある一つの研究テーマをもって学習を進めることで達成感や新たな目標が生まれやすい魅力的な高校だと思いました。

そんな親の思いなどどこ吹く風で。
お隣さんから預かっていたデスクトップを2日目終了のその日に受け取り昼夜パソコンに没頭しています。(なんやねん)


6.合格・・いよいよここからです



無事合格した書類とともに、大量の課題を渡されました(笑)高校受験はゴールではない、と実感したでしょう。おそらく。
社会に通用する人間になるためのスタートラインです。これからも頑張ってほしいと思います。








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