ゴッホの自画像マグネット
画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
精神を患ってはいたがその病名や、若くして亡くなった死因には不明点が多いとされる。
「生前売れたのはたった絵はたった1枚で、他界してから評価された」という話が有名だが、そもそも生きている時にある程度評価されはじめており、若いうちに死亡したのでその後に爆発的に高評価されたというのが極端な逸話として広まったというのが真実らしい。
で、オランダマグネット紹介の続編ですが、ゴッホの自画像です。
「マグネットは顔が(自画像に)あまり似てなくね?」という点は触れずにおきます。
ゴッホはパリに移住した1886年から1889年1月にかけての短い期間に、実に38点もの自画像を描きました。wikipediaで、「ゴッホ」の項目とは別に「自画像(ゴッホ)」の項目が作られてしまうほどです。
マグネットはその自画像のうちの1つ、「灰色のフェルト帽をかぶったもの(1887-88年冬)」をモチーフにしたものです。
ゴッホがこの時代にひたすら自画像を描き続けた理由は、ご本人(ダジャレではない)にしか解らないところですが、一般的には「モデルを雇う金が無かった」「人物を描く練習だった」などと言われています。また、
ゴッホは当時流行していた表層的な印象派絵画への違和感を持っており、「自分の絵画」や「自分そのもの」を見失いかけた時に描いたのが自画像だったのではないか。ゴッホは自分に迷いが生じた時、自画像を描くことで自分と向き合い、進路を見詰め、絵画の方向性を探ったのではないか。
などという考察もあるみたいです。
自分は自分の写真をあまり撮らないのですが、それは自分の顔姿をまじまじ客観視するのがなんとなく苦手だからです。(若い人は”自撮り”がお好きな方もいるようですが)それをあえてやらないと描けない自画像を何枚も描くというのは、なかなか勇気と根性がいることだろうなと思ってしまいます。
さてこのマグネットに話を戻しますと、
立体。
モチーフは平坦な絵画なわけですが、マグネットは起伏に富んだ立体です。
もう一つ、ゴッホ作品マグネットとしては「ひまわり」がありまして、
一瞬、「なんだー平面かー」と思ってしまいましたがむしろこっちが正解です。
かくしてゴッホさん、立体化されました。後世になってから自画像をもとに自分が立体化されるって、当時ご本人(ダジャレではない)は想像すらしていなかったのではないでしょうか。
葛飾北斎の冨嶽三十六景マグネットに続き、ゴッホマグネットも原作の表現を超えてきましたとさ。
(参考記事)
蛇足ですが、世の中にはこんな商品まであるようです。
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