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自由の女神は何色だったっけ?

銅像がイチオシの観光スポットは多くあり、ご当地マグネットでもよく描かれています。タイトル写真とは違う像ですが、「自由の女神は白だったっけ?緑だったっけ?」みたいな話を、色々な像について、材質やら製造経緯やらを絡めてご紹介します。

奈良の大仏

奈良東大寺の大仏

東大寺の大仏は幾度かの火災で部分的に損失し、現在は建立当時のまま残るのは一部分のみです。材質は青銅。基礎知識として、青銅と黄銅(真鍮)の違いについて簡単に整理。
青銅(ブロンズ)銅+すず 十円玉 赤褐色
黄銅(真鍮/ブラス)銅+亜鉛 五円玉/金管楽器/南京錠 黄金色
ただし別の金属や比率によって色や硬さ等の性質は少しずつ変わります。
青銅は風雨に晒されるとだんだん銅サビ(緑青;ろくしょう)で覆われて青緑色に変化しますが、大仏殿は屋内なので黒に近い赤褐色のままなのでしょう。少し緑掛かった大仏写真も見つかったりしますが、おそらく定期的にメンテナンスされて本来の黒に近い赤褐色を維持しているのかなと。実は建立当時は、金で覆われていて金ピカだったそうです。それが下のマグネットなのかも知れません。

奈良東大寺の大仏

まとめると、本体材質=青銅、塗装=昔は金ということですね。
なお建立当時材料にしたらしい山口県長登銅山の銅には有害なヒ素が多く含まれており、さらに金塗装についても有害な水銀に金を溶かして塗ってから炙って水銀を蒸発させる方法であり、建設にあたっては職人数百人の健康被害が出たとか。


通天閣ビリケン像

大阪通天閣のビリケンさん

ビリケンさんはあちこちでキャラクターとしてグッズが売られている人気者。大阪の通天閣に飾ってある三代目ビリケン像は、クスノキの一木彫りです。ただ土産物の中にはこのマグネットのように金色のものもあったりします。ビリケンさんの胎内には、彫刻→漆塗り→金箔で作った小さな「ビリ金さん」を入れてあるそうなので、このマグネットはひょっとしてビリケンさんではなく「ビリ金さん」がモチーフなのかもしれません。
2012年あべの経済新聞さんの、ビリ金さんに関する記事はこちら。


鎌倉の大仏

鎌倉の大仏
鎌倉の大仏

鎌倉の大仏も、奈良東大寺の大仏と同じように青銅(銅+すず)です。こちらは屋外にあるので銅サビが浮き緑青色をしていて、マグネットではその風合いがよく再現されています。
鎌倉の大仏像について興味深い点が2つあります。
ひとつは銅の産地。建立された鎌倉時代は全国的に銅が不足していて調達困難だったのですが、像の不純物金属の組成を分析したところ、国産ではなく中国華南が産地だったと判明しています。当時は南宋貿易で銅銭が大量に輸入されていたので、この渡来銭を融かして原料にしたと推測されています。
もう一つの興味深い点は、首回りの材質。1960~61年の修理時、大仏頭部の耐震補強で、首回りにFRP(Fiber Reinforced Plastic)という繊維強化プラスチックが使われたこと。プラスチックが使用されている文化財は、日本で初めてだった模様。
そういえばマグネットの材質も、ポリレジン=石灰+プラスチックの複合材料なので、強化プラスチックと言えるかもしれません。


長崎の平和祈念像

長崎の平和祈念像

長崎市の平和公園内に鎮座する平和祈念像が描かれたマグネットです。像の意味は、作者北村西望氏の碑文に刻まれた言葉によると、「右手は原爆を示し、左手は平和を。顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。是人種を超越した人間。時に。時に」だそうです。北村西望氏は長崎県南島原市生まれの彫刻家で、アトリエのあった東京の井の頭公園で吉田廣一氏をモデルに1955年平和祈念像を制作しました。
吉田廣一氏には深いエピソードがあります。
徳島県出身1937年日体大(現)卒業後、激戦地のニューギニアやビルマで戦った陸軍大尉。1939年に出征し、1946年葬式が行われた後で奇跡的に復員した。
「30kmの行程を戦友を背負って撤退した」「日本へ帰還する最後の飛行機に乗り込む時に身重の若い女性に自分の席を譲った」これらは両方とも自らが語ったのではなく、助けられた人の話が広まった。
戦後は母校の徳島県立穴吹高校教員として武道部を創設。自らも重量挙げ選手として日本選手権ライトヘビー級で6連覇。しかし1967年事故により急逝。享年48歳。北村西望氏は祈念像の台座裏に「山の如き聖哲 それは 逞しい男性の健康美」と記している。

像の話に戻りますが、実物はマグネットよりもう少し白っぽい薄緑色です。

長崎の平和祈念像

この像も、青銅が経年劣化によって銅サビが出たもの…

かと思いきや実は違います。青銅が主材料なのは確かですが、それを真っ白な石膏でコーティングしてさらに着色を施しています。つまり、だんだん銅サビが浮いて薄緑になったのではなく初めから薄緑色。2019年にメンテナンスが行われましたが、その時も同様に薄緑色に塗られました。

実物は高さ9.7mですが、以下の場所に試作品や小型のコピーがあります。
井の頭公園内の北村西望彫刻館…制作時の原型[9.7m]を保存。これは屋内にあり、なんと銀色に着色されています。
長崎刑務所…制作時の試作品[15cm]。原爆で亡くなった人々を追悼するため、1959年長崎拘置支所(平和祈念像の場所=前身の長崎刑務所浦上刑務支所があった)の前庭に設置されたものが移動された。
島原城の西望記念館…1972年開館時にレプリカを展示[約2.4m]。
仙川公園…1989年「みたか百周年記念事業」の一環でレプリカ建立[約2.4m]。(西望は生前に三鷹市とも関わりが深かった)
北とぴあ…1992年正面玄関前にレプリカ設置[約2.4m]。(西望が1916年から居住した東京都北区の名誉区民であった)

個人的には、井の頭公園の銀の平和祈念像がご当地マグネット化されないかなと期待します。都立なので望み薄ですが。


霧島市西郷公園の西郷隆盛像

鹿児島県霧島市西郷公園の
現代を見つめる西郷隆盛像

この像も緑色ですが、こんどこそは青銅製で銅サビによる緑青色ということで間違いありません。
西郷隆盛像といえば、1898年建立の東京上野公園のもの(着流し姿で愛犬ツンも一緒)や、1937年建立の鹿児島市立美術館近くのもの(軍服)が有名ですが、この羽織袴の西郷像は正式名称が「現代を見つめる西郷隆盛像」で、1988年に鹿児島空港目の前の西郷公園開園時に設置されました。高さ10.5mは3つの西郷像の中で一番大きいだけでなく、実在人物の像として日本最大だそうです。鹿児島空港を利用してもすぐリムジンバスに乗るのでスルーされがちですが、ぜひ一度訪れてみて下さい。

この像の制作には面白い経緯があります。
佐賀市出身の彫刻家古賀忠雄氏の作品ですが、もともとは1977年西郷隆盛没後100年事業として、坂本龍馬ら勤王の志士を祀る京都霊山護国神社に建立するために1976年製作されました。しかし、依頼者の死去により京都での計画が宙に浮き、完成した巨大な像は銅器/銅像制作が盛んな富山県高岡市内の倉庫に12年間も放置状態でした。1988年にこの西郷像の存在を知った溝辺町(現霧島市)の有志が募金を集めて像をようやく移設。周辺が公園として整備され今に至ります。

いつ新品の赤褐色から、銅サビで緑色になったのかはわかりませんが、ひょっとして富山県の倉庫内かも。


さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク博士像

羊ヶ丘展望台のクラーク博士像

「Boys, be ambitious!  -  少年よ、大志を抱け」で知られる北海道のクラーク博士像マグネットです。正式名称は「丘の上のクラーク」。クラーク博士は明治政府お雇い外国人として新島襄(アメリカで宣教師になり帰国後同志社大学を創った人)の強い招きで来日し、1876年札幌農学校(現・北海道大学)を開校したことで有名です。
クラーク像は、実は北海道大学キャンパスにある胸像(今は二代目)が元祖です。しかし、多くの観光客が大学敷地内に入り学生の学業に支障をきたすという理由で、観光客向けに、1976年アメリカ建国200周年の区切りに羊ヶ丘に全身像として新設されました。石川県生まれ札幌育ちの坂坦道氏が制作。挙げた右手の指が指しているのは「遙か彼方にある永遠の真理」。
この像は青銅ながら、酸化で緑色系に着色してくるのを待つのではなく、最近の修復でも初めから茶系の顔料を使う焼き付け塗装法で着色されています。マグネットのような金色はちょっと盛りすぎです。

「少年よ、大志を抱け」についてはクラーク本人が言ったかどうかあやしいとされつつ、現在では本人の発言という確証が見つかっているみたいです。
全文にはいくつかの説がある中で、
「少年よ、大志を抱け この老人の如く」(Boys, be ambitious like this old man)が一番好きです。


香港のブルースリー像

香港のアベニュー・. オブ・スターズの
ブルースリー像

香港の九龍地域、尖沙咀(せんさしょ/チムサーチョイ)の観光スポット「アベニューオブスターズ(星光大道)」にある、ブルースリー像です。実際には黒茶色。これも青銅製ですが、おそらく茶系に着色コーティングされていると思われます。これまたマグネットは金ピカながら。
ブルースリー×青銅というと、むしろ「クローン人間ブルースリー/怒りのスリードラゴン」という映画で、ブルースリーのクローン3体が「青銅液体」を飲んでカッチカチに強化された「青銅人間」と戦っていたのが想起され、ちょっとニヤニヤしてしまいます。


香港国際映画祭のトロフィー像

香港のアベニュー・. オブ・スターズの
香港国際映画祭受賞トロフィーの像

同じくアベニューオブスターズ入口にある、香港国際映画祭受賞トロフィーの形をした青銅製の像です。少女が身体に巻き付けているのは映画フィルム。ですが実物はマグネットのように色がついているわけではなく、全体に茶系色です。


自由の女神像

自由の女神像
自由の女神像

正式名称は「世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World)」という自由の女神。これも表面は青銅(骨格はステンレスで耐震補強済み)。建設当初は赤褐色であり時間とともに緑化したパターンです。1878年パリ万博で、先に完成させた胸から上部が展示され、その後ニューヨークに全身のパーツを運んで組み上がったのが1886年です。

記事タイトルにした問題の答えは「当初は赤褐色、現在は緑色」でした。