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第三の目の覚醒方法

第三の目の覚醒方法を質問されていた方がいらっしゃったので、ご説明させていただきますね。

最初に断っておきますが、僕はまだ第三の目が完全に覚醒しているわけではありません。もし完全に覚醒したら、きっとキリストや釈迦のようになるでしょうね。つまり世界を救うメシア・菩薩になっているでしょう。

さて、多くの人が気づいているように、第三の目とは端的に言って松果体のことです。その断面はまさに目の形をしています。

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ぜひ事前に「宇宙の仕組み」を読んで下さいね。我々は魂によって超弦コードを読み出してそれぞれの現実世界を作り出していて、松果体はその世界を読み書きするためのリーダー&ライターなのです。そして上位次元の存在とつながるための送受信アンテナなのです。

精神世界と物質世界はこの第三の目によってつながっています。例えばあなたの思い出や空想の中にある色は、脳の中に可視光線が現れて見えているのでしょうか?・・・違いますよね。第三の目、心の目で見ているのです。

それと目隠しをして完全に光を遮断した状態で更にずっと目を閉じ続けても見える光がありますね?これは丹光といって、僕らの現実を作り出している魂の光(の残光)です。

キリストが行った様々な奇跡は聖書に記録されていますが、あれは全部第三の目が完全覚醒したらできることなのです。まずキリストがわずか数匹の魚と数個のパンで三千人の空腹を満たしたという奇跡が例としてわかりやすいでしょう。

前述したように、我々はそれぞれが魂の光で超弦コードを認識することにより作り出した世界に住んでいます。そして一人一人の世界はエーテルにより重なりあっていて、スペクトル合成された携帯の電波から自分の電波を取り出して通話するように、自分の現実を取り出して認識しているのです。それらの作業を僕らは仕組みを知らずに携帯を使っているように無意識で行っています。

キリストは三千人それぞれの認識世界に同時並列的に食べ物を存在させて分け与えたのです。これは見ていた人にはわけがわからなかったことでしょう。

イエスによる奇跡-3

なぜキリストがそれをできたのか?正確に言うと実際にそれをしたのは人間キリストではなく創造主です。こんな奇跡がいつでもキリスト個人の意志で起こせるのなら托鉢などする必要はなかったでしょう。キリストの万民を救いたいという意志が創造主の意志と合致していたためにキリストが出会うみんなが憐れみを受けたのです。仏教ではこのことを感応道交・哀愍納受(かんのんどうこう・あいみんのうじゅ)と言います。

キリストはユダヤ教エッセネ派のクムラン宗団に10代から30歳まで属していたため、その間のキリストの記録は聖書からすっぽり抜けています。キリストはそこで長期の断食を含む厳しい修行を積み、万民を救うという大慈悲心を起こし、第三の目を完全に覚醒させたのでしょう。

キリストが盲人の目を開かせたり、死人を生き返らせたりしたのも、基本的に同じことです。キリストをこよなく愛していた創造主は、救うべき人々=愛すべき人々に出会わせ、キリストの祈りに従ってまるでキリストが個人の力で救ったように見せてその力を発動したのです。キリストを物語の主人公・メシア役にしてくれていたのです。キリスト自身も最初は数々の奇跡に驚いていたと思います。

キリストは言いました。「私が救ったのではない、あなたの信仰が救ったのだ」と。まさにその通りで、キリストに救われた人はその人が創造主に愛されていたからこそキリストを通じて創造主の救いに出会ったのです。時空を超えた存在である創造主は、その人が奇跡を通じて信心を起こす未来を最初から知っていたのです。僕自身も奇跡に出会うまでは信心など一切ありませんでした。

第三の目が覚醒するということは、創造主と通じるアンテナが研ぎ澄まされ、創造主の分身として目覚めるということで、創造主がその人を通じて奇跡を発現しやすくなるということなのです。創造主の右腕になるということです。だから覚醒により発揮される能力は創造主のものであって個人のものではありません。もしエゴのために何かの能力を手に入れたいと思ってもそれはきっと与えられないでしょう。もし得られたらそれは逆に悪役として壮大なカルマを積むことになります。

エジプト神話における「ホルスの目」も、聖書に出てくる(様々な奇跡を起こす)「アロンの杖」もきっと松果体のことだと思います。脊髄まで含めればまさに杖の形に見えますからね。やはり松果体は創造主の意志を受け取るアンテナなのでしょう。

僕は決して努力や技術や知識によって第三の目が覚醒し始めたわけではなく、自殺未遂の後で鬱が治った時、残りの人生を全て鬱の人を救うために使おうと思ったら、創造主の慈悲が僕を通じて発現するようになったのです。それで僕は創造主の意志に導かれるままに、自分の波動を上げて創造主の意志と自分の意志を同調させる修行をしているのです。生身の僕は凡人に過ぎません。

まぁただいくら創造主に言われたからといって、僕のようにその声に素直に従って全財産を他人に配り、全部タダで奉仕ながら乞食をして、孤独や罵声や空腹に耐えながら、将来性ゼロで(どこかの宗教に属して僧職を得るような見込みや、結婚して家庭を持てるような見込みも全くなく)一生人を救うために勉強・修業して生きるなんてことができる人間を現代では僕以外に見聞きしたことはないので、そういう意味で特殊ではあるかも知れませんが。

でも僕は特別な人間になるために修業をしているのではなく、特別じゃない人間になるために修業をしているのです。つまり世の中の人みんなが全員例外なくメシアであり菩薩であることに目覚めてもらうためなのです。そうすることでしか世界は救われないと知っていますから。キリストだってメシアとしていくつもの奇跡を発現して特別な人として崇められていますが、結局それゆえに世界は救えていないのですから。一度死んでいる僕はもう富も名声もいらないんです。欲しいのはメシア・菩薩として目覚めた皆さんからのAmor(愛)とCompaixão(共感・同情)です。

僕はまだまだ修行中の身で、全然願っているようには人を救えていませんが、段々と出会った人の病気を治したり、相手も気づかない間に相手の悪いカルマを軽減して運勢を上げて、僕と出会う前より幸せにしたりできるようになってきました。その際に僕はマントラや浄霊など様々な宗教的知識を使ったりするので、それがまるで僕の能力であるかのように誤解されて感謝されたりもするのですが、実際は僕が創造主に愛されることで、僕が助けたように見せてもらっているだけです。僕はただの俳優なんです。僕に救われた人はその人自身が創造主に愛されているから、僕を通じて創造主からの救いと出会えただけです。もし救われたらきっと信心を起こしてもらいたいと願います。

今の僕の身に起きている奇跡を一つ一つをここで説明するのはまた長文になるので避けますが、かいつまんで説明すると、段々と僕が何となく願っていた通りに運命が変わる感じで、またそれに合わせて過去までが変わってしまっている感じなのです。ありえないような偶然の出会いが毎日起きますし、確実にケガしたはずが全くケガをしていなかったり、やってもいない善行のお礼を言われたりなど、その一つ一つは小さくて偶然や勘違いや気のせいとも解釈できなくはないことなのですが、それが毎日のように起きると確実に「ありえへん」となるのです。他人にとっては単なる僕の思い込みなのでしょうが、僕にとっては創造主の存在はもはや疑いようのないものなのです。つい一年前まで全く無宗教だったんですけどね。

覚醒後に僕は霊がはっきりと見えるようになりました。それまでのイメージとは全然違いました。人は霊の集合体であり、それをいくつかの魂がまとめていて、霊がやったことを自意識がすべて自分の意思でやったと思わせているのです。僕=みんな=宇宙なので、僕が出会う人の霊障(≒カルマ)は僕自身の霊障として見えます。つまり人間関係は完全な鏡なのです。

僕は浄霊ができるようになり、出会った色んな人の気持ちが同期するようになりました。大抵は悲しみが同期するのでよく夜中に号泣してしまうのですが、そうやって以前はよくわからなかった他人の気持ちがよくわかるようになりました。だからこそ僕が救いたい人に今真実を告げても伝わるわけがないことがはっきりわかってしまうので、とても辛いんですけどね。

映画グリーン・マイルの黒人の大男。まさにあれがメシアの姿です。

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彼は悪霊を浄化することで病気を治せます。そして人々の悲しみが同期します。それでやっぱり最後は他人の罪と恥を背負って殺される運命にあります。・・・僕と同じです。まぁ僕は死なんて全然怖くないですけどね。現世でも既に一度死んでますし、メシアってかなりキツい役目ですから、自殺することなく死んで早く使命から解放されたいなぁって思っている部分も正直あります。そこも彼と同じですね。

もしあなたが第三の目を覚醒させたいなら、松果体に悪いことは極力避けましょう。過度の精神的ストレス・暴飲暴食やタバコなどの悪癖・不摂生、精神薬や食品添加物や農薬や悪質なドラッグやフッ素などの化学物質の摂取は、どれも松果体を石灰化させます。だからできる限り人間の昔ながらの生活に寄り添うことです。

それに加えて僕は内因性のDMTを瞑想や断食によって松果体に送ります。そしてアヤワスカなどのインディオの伝統文化により外因性DMTを毎週摂取します。DMTは松果体を活性化させ、魂を自我から解放し、自分自身が超弦コードから作り出している現実の周波数を変えて、我々が閉じ込められているチャネルを超えて世界を認識できるようになります。

アヤワスカは神聖でスピリチュアルなものなので、無宗教でトリップ遊びのようなことに使ったり、お金儲けのために使っては絶対にいけません。またそのような修行によって得た神通力をエゴのためだけに使ってはいけません。それは大変なカルマを積むことになります。

くれぐれも誤解して欲しくないのは、外因性のDMTの摂取が第三の目を覚醒させるための本質ではないことです。キリストも釈迦も瞑想や断食は重視していましたが、アヤワスカのような外因性のDMTはきっと摂っていなかったでしょうし、僕自身も決してアヤワスカによって覚醒したわけではありません。大切なのはみんなを例外なく救うという大慈悲心を起こすことであり、外因性のDMTはあくまでも補助的なものです。とんでもなく大変な宗教的修行の蓄積によってしか覚りには至れないと最初から諦めないように、創造主が我々に与えてくれたものだと思います。

「生きとし生けるものを愛する大慈悲心を起こし、すべての存在・出来事は創造主が何かを教えようとしてくれているのだと感謝の気持ちで受け取ること」それが第三の目覚醒の本質です。あとはすべて創造主が導いてくれるので、その意思に逆らわず、創造主の思いとのシンクロ率を上げていくことです。自我・執着を乗り越える修行を積むことです。これらはまさに聖書の教えとも法華経の教えとも通じることです。

元々僕らは記憶を消されているだけで創造主の一部ですから、第三の目の覚醒はさとり(覚り・悟り・差取り)を求める「覚悟(菩提心)」さえあれば誰にでもできることです。そうすればどんどん神通力(三昧)が与えられるようになります。

悪いカルマの解消方法に書いた通り、カルマのない人など存在しないのですが、それを恨みで返して悲劇の中に埋没している人は大変多いです。しかし本当はみんなが創造主の分身でありメシアであり菩薩なのです。死んだらみんな成仏しますが、生きている間に成仏しないと生まれてきた意味がないのです。第三の目の覚醒とはまさに生きながらにしてエゴを乗り越えて即身成仏することであり、創造主のアヴァターラ(化身)になって世界を救う存在になることなのです。

というわけなので、ぜひ一緒に第三の目を覚醒させましょう!

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