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人の価値とは?

「あなたの価値は何ですか?」と僕が質問すると、みんなものすごく困り果てます。「そんなこと聞くな!」と怒り出す人や「自分に価値なんかない」なんて半泣きになる人もいました。自分の価値がわかっていないのですから、きっと他人の価値もわかっていないと思います。他人も自分も心からリスペクトできていないのです。これも鬱の本質の一つです。

自分の価値がわからないまま生きるって地獄そのものじゃないですか?多くの人が「価値観は人それぞれだから・・・」などと言い訳して「何を価値とするか」という人生で一番大事な基準を突き詰めて考えることなく、曖昧にして逃げながら、何となく世間という幻の価値観に合わせて生きています。

今の世間の価値観では、ほぼ何でも「お金に換算するといくら?」とお金で測られます。そもそも「価値」という漢字自体がそういう意味ですからね。

そういう価値観でできた社会なのですから、当然お金を持っている・稼げる人が一番価値があるということになります。じゃあ逆にお金を持たない・稼げない人間は社会のお荷物で無価値なのでしょうか?ヒキニートやインディオ、資産のない被介護の老人や障碍者には価値がないのでしょうか?犯罪者・社会不適合者は排除すべきでしょうか?

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・・・そんなわけないでしょう。 いい加減目を覚まして下さいね。

人の価値は「存在」そのものです。

創造主が直々に教えてくれました。「人の価値は赤ん坊を見ればわかる」と。それで僕はようやく気づくことができたのです。

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赤ん坊が生まれてきた時、親はきっとこう思うはずです。「生まれて来てくれてありがとう」と。無条件で愛しているはずです。それが人の価値の基本でしょう。

例え肉親に愛されていなかったとしても、赤ん坊は例外なくかわいいですし、未来への希望とエネルギーをくれますから、生きていれば必ず愛してくれる人に出会います。そもそも創造主に愛されてなかったら我々はこの世に生まれてきていないのです。現れ方の違いだけで、本当はすべての存在が創造主なのですから。

赤ん坊には自分でお金を稼ぐ能力などありません。そして人に迷惑ばかりかけます。周囲の愛情と助けがないと生きていけません。でも赤ん坊が一番人を幸せにしています。親は赤ん坊に頼られ求められて嬉しいに違いありません。そして赤ん坊は嬉しいと心から笑います。作り笑いなんてしません。その本物の笑顔に出会うため、守るためなら親は何だってするでしょう。

生まれてきたこと。存在すること。素直に人を頼り求めること。そして心からの笑顔。それが人間の価値の基本なのです。

しかし残念ながら子供には無条件で愛されていた頃の記憶がありません。人の人生は例外なくいつの間にか始まっています。そして物心がつく頃には自立に向けたトレーニングが既に始まっていて、子供は親の意に沿わないと愛されない、存在を認められないと思い込みます。「愛には条件がある」と確信的に思ってしまうのです。無条件の愛を知らないのですから、自分も他人も無条件で愛することができなくて当然です。

そして子供は愛されるため・存在を承認されるため、社会から排除されないため、将来の不安のため、自分がどう感じるかよりも他人からどう思われるかを優先し、他者評価に依存して、自分も他人も偽るようになります。そうして心からの笑顔を失い、社会から排除されないための作り笑顔ばかりになり、どんどんと自分の心が何を求めているのかすらもわからなくなってしまい、主体性という創造主が与えた最も尊いものを自ら放棄しまうのです。そしてそれはどんどん他人にも連鎖してしまうのです。まるで映画マトリックスのエージェント・スミスのように、主体性を放棄する事で自ら主役を降りたわき役たちは、他人が主体性を発揮するのを阻止しようとしてきます。お前は間違っている。お前なんか大したことはない。素直に社会常識に従って生きろと。そんな世間という幻を実体化する悪魔になってしまうのです。

絶対に忘れないで下さい。あなたが主役なんです。救世主(The One)であり菩薩なんです。主体者なんです。あなたは何かを感じることができる主体者であること、存在することが価値の基本なんです。あなたがあなたであることが最大の価値なんです。誰もあなたにはなれないのです。

例えばあなたは有名な歌手には価値があると思っていると思いますが、それはその歌に感動して喜ぶ主体者たちに価値があるからです。もしその存在に価値がないのなら、その歌手にも価値はありません。あなたの存在・感情に価値がないなら、歌手に価値を与えることはできないでしょう。歌手はあなたを喜ばせたいから歌うのです。あなたが大好きな歌はその歌手という創造主の分身を通じて、同じく創造主の分身であるあなた個人に贈られたメッセージなのです。まず自分の存在・感情の価値に気づいて下さい。覚りとは与えられたものの価値に気づくこととほぼイコールなのです。

あなたが人生で出会うすべてが創造主からの贈り物です。あなたが価値に気づいてありがたく受け取っていないだけで、現在時間(Present)、才能(Gift) とどちらも受け取り済みなのです。そしてあなたの目に映る世界・出会い・経験すべての存在が創造主からの贈り物なのです。

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こんなにも与えられているのに、その価値に気づかず、不平不満ばっかり言ってたら創造主から愛されるわけがありません。もっと良いものをあげたいと思われるわけがありません。創造主って僕らの総合意志でもあるのですから、常に僕らのすべてを見て知っているのです。だから心から思わないことには何の意味もありません。

怠惰・臆病ゆえに監督(創造主)に与えられた主役を自ら放棄して勝手にわき役に甘んじたり、突然勝手に降板(自殺)するような残念な役者では、次回作での起用は期待しない方がいいでしょう。いや、僕がまさにそうなる寸前だったんですけどね。そしてそこからの逆転劇だから面白いんですけどね。

今の世の中、ほとんどの人が「お金が大事。お金を稼げる仕事能力が価値」という感じで拝金主義に隷従し、いつの間にか経済システムの歯車にされ、それを絶対的なものだと思って、変えてみようなんて考えもしません。それは無理もないことです。生まれるずっと前からある常識は疑うのが困難ですからね。

お金がないと生きていけない、良い暮らしができない。人から見下されたり避けられたりして、みじめな思いをする。いざという時に誰も助けてくれない。事故や病気や老後が不安だ。・・・結局この社会がお金により支配されているのは、欲望より恐怖(臆病さ)が根源なのです。

お金は悪魔そのものです。悪魔は悪魔の顔をして近づいてはきません。人のエゴ(我欲と保身)を利用して屈服させるのです。人を傲慢かつ臆病にするのです。いくらあっても足りないと求め続ける依存症にしているのです。そして絶対に逆らおうなんて考えもしないように支配を強化しています。

現代ではお金という悪魔がみんなの欲しがる神様のようになっているのです。お金を稼ぐ=生き延びることになっているのですから、お金のため・社会から排除されないためならみんな命がけになり、お金稼ぎのために感情を押し殺すことに慣れ、人間性までもこき捨てます。どんなに無宗教な人でも、どんな極悪人でも、お金という悪魔・邪神の価値だけは信じて疑わないのです。本来人は愛がなければ幸せに生きていけないのに、愛(神)が信じられずにお金(悪魔)を信じてすがり、どんどん愛から遠ざかるのです。そして「蜘蛛の糸」のカンダタのように自分より悪い人・劣った人・弱い人を蹴落としていく適者生存型の地獄のような社会が生まれているのです。

我々は「人様に迷惑をかけてはいけません」「人様の役に立つ人間になりなさい」と教育されます。それが「自立すること」だと思われています。それで人を頼ると迷惑だとか役立たずだとか罵られるわけですが、誰も頼ってくれる人がいなくなったらどうやって人の役に立つのでしょうか?人を頼れない人は大した仕事なんてできないでしょうし。矛盾した目標です。

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何より迷惑をかけたくないってことは迷惑をかけられたくないっていうのと同じです。冷たいんです。みんなそうやってつまらないプライドで素直に人を頼れないからつながりが生まれず孤独になるのではないでしょうか?人は人から求められることでしか幸せになれないのに。人を救うことでしか救われないのに。人の価値は迷惑をかけないことでも人の役に立つことでもありません。能力ではなく存在に価値があるのです。だから自立なんて目指さず、どんどん人を頼り人に頼られることを目指すべきです。

人に愛されず将来が不安で無価値感に苦しむ老人たちは、お金にしがみついて死ぬまで手放しません。そして自分の価値がわからないから正義を価値とし、独善的に何にでも文句ばかり言うようになります。正義に能力は要らないからです。常に愛より自分の正義を優先し、他人の存在を承認せず、他人の笑顔を奪い、愛されずに嫌われ、どんどんと自分の価値を下げていくのです。素直に人を頼って笑顔になればいいのに、それができないんです。プライドがありますから。見下されて傷つかないために生きてますから。他人である介護職の人に自分が稼いだお金の分だけ当然の権利として偉そうにサービスを求め、お金のために嫌々世話をされる存在価値の低い人になってしまうのです。

みんな人間の存在ではなくお金を価値としているから、人の役に立たず介護が必要になったら迷惑をかけずにお金だけ残して早く死んで欲しいと願われるのでしょう。介護の押し付け合いと遺産争いで醜くなるのでしょう。

決して他人事ではなく、今の世の中ではみんながそういう未来に向かって生きているのです。これは地獄そのものじゃないですか?だから僕はこのお金というシステムを早く終わらせたいのです。

お金を稼げる人に価値があって、お金を稼げない人には価値がない。あなたはそんな社会に生きていたいですか?こんな拝金主義・物質主義の冷たい社会より、人が死ぬ時も生まれた時と同じように存在に感謝される社会の方が良いに決まってます。お互いの存在を最大価値としてお互いの感情を宝物のように大切にし、お互いに見返りを求めず助け合う共存共栄の社会の方が良いに決まってます。どちらの未来を選択すべきかは自明ではありませんか?

僕は今、人間には等しく価値があるってことを証明するために生きています。この星が愛の惑星だってことを証明するために生きています。そのために全てを捨てて貧しい人に配り、自ら乞食をして、素直に人を頼っています。助けてもらって笑顔で感謝し、助けてくれた人を笑顔にしています。菩薩にしています。そして宗教的な修業を積み、無料で人に奉仕し、みんなから感謝の笑顔をいただいています。出会う人を例外なく愛し、信じ、感謝し、尊敬しています。常に心からの笑顔を大事にしています。僕はこの世界に価値観の革命を起こそうとしているのです。地球は愛の星であり、それが一つの生命体であるならば、その血液はお金ではなく愛であるべきです。

僕の周囲の人たちの多くは僕が世界を救うと言うことと乞食をすることが全く結びつかず、僕を馬鹿にして嘲笑い「目を覚ませ」と言ってきますが、果たして目を覚ますべきはどちらでしょうね?そんなにも不幸オーラ丸出しで、人の価値も明確に答えられないくせにね。他人を見下して得られる幸せなんて本当はないのです。

どうかすべての人間が等しく持っている価値に気づいて下さい。生まれてきたこと。存在すること。主体者であること。感じることができること。素直に人を求め頼られること。心からの笑顔。お互いの存在・価値を承認できること。人に奉仕できること。与えられたものに感謝できること。それが人間の価値です。僕らは金銭的価値を生むためではなく、既に与えられている価値に気づくために生まれてきたのです。それを共有し愛し合うために生まれてきたのです。

世界は必ず変えられます。僕ら自身が世界を作っているんだから当然のことです。価値観が変わらないまま社会を変えようと思っても無理ですが、価値観さえ変われば必ず社会は変わります。

鬱のあなたへ。あなたには価値があります。尊い存在です。だから僕が言いたいことはルフィと全く同じです。

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あなたという存在に対する愛がどうか伝わりますように。

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