飯豊山敗退の記録

 お盆にばあちゃん家には行かなかったが、山に登っていた。学生時代の山仲間とともに、飯豊山の縦走を試みたが、悪天候のため途中で引き返すことになった。その敗退に至った状況やその時の思考を記したく思う。

 今回の山行は小国町の旅館に前泊し、梶川尾根から登り、弥平四郎登山口に下山する、山中2泊3日の日程で計画をした。1日目はとてもきつい登りで標高差が1500 mもあり、それを登り切れば快適な稜線歩きの2日目と、下りるだけの3日目が控えていた。

 山を登る1週間前から、飯豊山周辺の天気予報とにらめっこする日々が続いた。 直前の予報では、1日目と3日目が曇りときどき晴れ、2日目は2~3 mm/hの雨が続くということだった。肝心の2日目が雨とがっかりした。途中で予報が外れることを願っていたが、残念ながら天気は好転することはなかった。

(初日)
 登山口の温見平より、尾根道をひたすら登った。急坂というよりもむしろ崖をのぼっているような感覚であった。盛夏もあって、あっという間に汗だくになり、水をゴクゴク飲んだ。こんな状況に加えて、20 kg近い荷物を背負っているのは苦行みたいなものだった。

 登り始めてから5時間近く経過して梶川峰に到着した。急登はここまでで、ここから先から快適な稜線歩きとなる。稜線上はガスがかかっており遠景を望むことは出来なかったが、登山道わきにヒメサユリやニッコウキスゲが咲いていて、ついつい写真を撮ってしまった。この様子なら明日も楽しめるとこの時は思っていた。

 登山道を主稜線上まで進めるとこれまでの穏やかな天気が一転して、強風が吹いていた。まともに息をすることも難しく、ときどき体が持ってかれるくらいの強風だった。こりゃ敵わんと、すぐそこにある門内小屋に避難した。当初の予定では1つ先の梅花皮小屋までの歩くつもりであったが、風もやむ気配がなかったためここで夜を過ごすことにした。一夜中、窓がけたたましく震えていてなかなか眠れなかった。

(2日目)
 翌朝も、相変わらずの強風で、10 m先の視界も見通せなかった。これはあかん、遭難するから撤退しよう。同行者と決めて、来た道を引き返した。あの急登を下るのだから、足腰の負担は相当なものであり、下山口に到着するときには膝ががくがく震えていた。そして、下山口そばの温泉に入り、リベンジを誓いながら自宅へ引き返した。

 振り返ると、あのままちょっとだけ無理をすれば、飯豊山を縦走しきれたのではないかと思う。2日目の気圧配置は、そこまで荒れるものではないし、雨も弱いままだった。あの強風は、山の地形によって局地的に強い風が吹いているだけだから、そこさえ強行突破すれば――。とはいえ、無理をして遭難していたら元の子もない。撤退の判断が妥当であったと思い込んでいる。

 稜線にとりつくまでだけで、1500 mの標高差がある飯豊山は、想像以上のきつさであった。いずれはまた登ると思うのだが、挑戦する季節は秋にしようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?