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旅の記録をつづりたい2ージンバブエ・ボツワナ旅行ー

 旅することを趣味として以来、人生の1度くらいアフリカを旅してみたいと思っていた。経済的にも歴史的にも日本とあまり関わりがないアフリカ大陸、そこを旅した記録はインターネットにも少なく、果たしてどんな土地なのか知りたかった。ちょうど2年前、2018年6月にまとまった休みが取れたので、1週間の日程でアフリカのどこかを旅しようと思い至った。

1.旅の準備から首都のハラレまで

 ざっくりとアフリカを旅したいといえども、そこには(西サハラも含めて)55の国家があり、どこを訪れるかという問題がぶち当たる。最初に、いわゆるアフリカらしさを求めて、エジプトやモロッコなど北アフリカ諸国が除かれた。次にエボラ熱や黄熱などの熱帯病への懸念から、赤道周辺、セネガルやカメルーンなどが除外。そして、治安の悪いナイロビやヨハネスブルグ・ケープタウンを避けて、最終的にジンバブエとエチオピアの2択となった。そこでエチオピア料理は非常にマズイという悪評を聞いたため、ジンバブエに行くことにした。

 期間と行き先を決めて、あとは宿や移動手段など諸々の手配するのみだが、ほとんど何も予約しなかった。往復の航空券と初日の宿を手配すると、その後が面倒になった。がちがちに計画を固めてイランを旅した時とは対照的に、ふらふらと放浪する旅をしようと途中から思った。久しぶりのノープランの旅、そんなスタイルも悪くない。

 成田から、仁川(韓国)、アディスアベバ(エチオピア)、ルサカ(ザンビア)を経由してハラレに到着した。約24時間も飛行に乗っていたので、ぐったりした。入管でアライバルビザを取得して、タクシーで宿に向かう。中心街に位置する宿は、日本のビジネスホテルのようで清潔だった。

 チェックインしてしばらくして、翌日のバスを予約するためハラレ市街を歩く。近代的なビルが立ち並び、常に人々が行きかう大都会であった。噂どおり治安も悪くなさそうで、安心した。

 夜になって食事のため、宿の2区画となりのレストランに向かう。ジャンバラヤのようなものを頼んだが、とんでもない当たりを引いた。パサついた鶏肉には旨みがまったくなく、ご飯はひたすら辛い味付けだけであった。ああ、マズイなあと思いながら、治安ではなく食事という点で、今後の先行きが不安になった。

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ハラレのバスターミナルおよび市場。 3つの密の度が過ぎる。

2.ハラレ~ブラワヨ~ヴィクトリアフォールズの移動

 翌日になってハラレから、ジンバブエ第二の都市の、ブラワヨまで長距離バスで移動する。当初はマシンゴという街に向かって、グレート・ジンバブエ遺跡を見学するつもりだった。しかし、マシンゴ行きのバスはハイエースみたいなミニバンに、ジンバブエ基準の満席まで人を詰め込んでからしか発車しないというので、その場で断念した。後で知ったことだが、普通の長距離バスもあるらしいが、乗り場が分からなかった。

 日本でいうところの観光バスタイプのような車両に乗り込み、6時間ほどでブラワヨに到着した。碁盤型に区画された街路に3階建ての建物が立ち並んでいるのは、映像でしか知らないが、1950年代のアメリカみたいな雰囲気がした。店頭のラジオからエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーが流れてきてもおかしくなかったが、その時はサッカーW杯の中継で盛り上がっていた。

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ブラワヨ中心街から駅方面を望む。 街のあちらこちらでW杯に夢中だった。

 おやつとして、路上で少年から買った焼きとうもろこしを食べつつ(飼料用品種で美味しくない!)、自然史博物館と鉄道博物館を見学した。ブラワヨの街自体に限ると見どころがこれくらいで、アクセス困難という理由で郊外の遺跡見学もあきらめて、その日のうちにヴィクトリアフォールズ市(名前の由来はヴィクトリアの滝そのもの)へ夜行列車で向かうことにした。

 列車に乗り込んであてがわれた部屋に入ると、そこは3段寝台が2組設置された6人部屋で、5人のジンバブエ人男性と同室だった。圧がすごいが、つたない英語で会話をし始めると楽しかった。ただし、英語で会話しているのに突然盛り上がって現地語に切り替わるのはやめてもらいたかった。会話もたけなわになって、眠ることにする。起きたらヴィクトリアの滝が見られる。そう思うと、楽しみだ。

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乗車前のブラワヨ駅。 生まれて初めて寝台列車で眠ることになった。

3.ヴィクトリアの滝・チョベ国立公園

 ヴィクトリアフォールズの駅に到着したのは昼前であった。この日の宿をどうやって見つけようかと考えながら駅を出たら、1分もたたずに客引きが声をかけてきて、幸運だった。普段は池袋や赤羽の客引きを毛嫌いしているのに、この時ばかりは心待ちにしていたのだから、実に現金なものである。

 客引きの兄ちゃんに聞くところによると、ドミトリーで1泊20米ドルくらいと提示され、即決した。安い。さらに、隣国ボツワナへの一日サファリツアーが150米ドルで募集していて、それにも参加するにした。もともとジンバブエ国内だけを旅しようと考えていたが、こうした芸当ができるから放浪の旅は素晴らしい。

 ヴィクトリアの滝を見学する。観望台までまだ距離があるのに、水が流れ落ちる音が聞こえてくる。熱帯雨林の中をしばらく歩くと、とんでもない轟音で流れ落ちる滝を見えた。遊歩道に沿って風下側へ移動すると、濃霧のような水しぶきの中を通ることになり、視界がぼやけてよく分からないしずぶ濡れにもなった。この壮大な景色を目の当たりにして、何と形容すればよいか分からない。しかし、この衝撃・感覚は忘れられないと思う。

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ヴィクトリアの滝を望む。 景色も、音も、水しぶきも凄まじい。

 翌日、ボツワナにあるチョベ国立公園の一日サファリツアーに参加する。宿の入り口でツアーガイドに拾われて、国境を越えてボツワナに入国して、拠点のロッジに到着した。そこからは船に乗り換えて、川に集まる動物を眺めることになる。間を置かずにワニやカバ、インパラの群れが現れていく光景は、ついつい船から身を乗り出して写真と撮りたくなる。その中で、カバの群れが川の底へ潜っていく瞬間は印象深かった。

 ロッジに戻りビュッフェ形式の昼食を食べて(料理が冷めていた...)、午後からはジープに乗車して陸上サファリを行うことになった。川で見た動物のほかに、キリンやヒョウ、アフリカスイギュウを見ることができた。そして、数十頭の象の群れが水を飲んでいるところを見ることができた。この国立公園は象の生息密度が高いとはいえ、ここまでとは。ありきたりな表現であるが、野生の王国ということを改めて実感した。

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象の群れが水を飲んでいた。 車が近づいても我関せずといった振る舞いだった。

4.ハラレに戻り帰国へ

 ヴィクトリアフォールズの市街へ戻ったのは夕方であった。そこから、夜行バスでハラレまで戻ることにした。翌朝ハラレに到着して、初日と同じ宿を確保して、市街地を歩いて回ることにした。ジンバブエを歩いていて実感したことだが、本当に治安が良くて、想像以上に発展していると思った。物乞いやスラム街を見かけることがなく、たいていの道が舗装されるなどインフラが整っていた。

 日本で聞いたジンバブエに関する報道は、超ハイパーインフレ、大規模な不正選挙、軍によるクーデターなど暗い話ばかりであったから、実際に触れた印象との隔たりに驚いた。もちろん本当の暗部、例えば街のはずれのスラム街を見てもないし、GDP等の各種統計指標もあまり良いものではない(アフリカ諸国の中で比較的マシという程度)ので、本当のことは分からない。そのため、暇ができたらの話であるが、自由研究としてジンバブエ事情を深く調べたく思う。

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ハラレ市街。 右の建物は中央銀行に当たるジンバブエ準備銀行ビル。

 歩きまわって宿に戻ったときには、すっかり日が暮れていた。最後の晩餐ということで、前回の失敗をふまえて、宿のマネージャーが推薦するステーキハウスに向かった。大きなステーキを平らげて、赤ワインを飲んで、久しぶりに食事を楽しんだ気がした。今回の旅で美味しいと言えたものは、英国式の朝食とピザくらいだったので、とりわけ満足した。しかし、この国の食事についてもともと期待していなかったが、もうちょっとどうか出来なかったのかとも感じた。

 最終日である翌日、帰国の便が出発するのは午後なので、国立美術館を見学することにした。ここは、ジンバブエの伝統に沿った石彫刻と現代アートが多く収集されている。芸術にはあまり詳しくないが、展示作品から何か心揺さぶられたような気がした。

 空港に移動して、日本に帰る。いろいろなことを体験して、書ききれないことも多いがとても刺激的であった。また、旅をしたくなってきた。

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国立美術館。 ゴミが芸術に昇華されるのが面白い。




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