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立志篇(Ⅱ)


筆者‐大芝太郎(2006年-志信会公式サイト「大西信弥物語」に連載)】

>>>前号より続く

3.頂点を目指して

 16歳の夏の日、照り付ける日差しの中で大西は、「彼女をしあわせにするために、お金を稼ぎたい!」と思い立ちます。そして大西はプロゴルファーになるという目標をたて、キャディーのアルバイトを始めます。
そのとき大西は自分の中で何かが変わるのを感じていました。大西は、ゴルフに対する沸き上がる情熱を抑えることができず、夏休みの間一日も欠かさず、片道 1 時間を自転車で往復し、ラウンドが終わった後、ボールが見えなくなってもフェアウエーでボールを打ち続け、ゴルフの奥深さに魅せられていきます。そして大西の生活の全てがゴルフを中心に回っていきました。
一年足らずで、ハーフを 30 台で回るようになった大西は、 17 歳でプロゴルフツアー競技「ヤングライオンズ・トーナメント」の予選会を突破し、数千人の観衆の前で、有名プロゴルファーたちとのラウンドが決まります。
周りの人たちからの賞賛と自分の才能への自信、それを裏付ける練習量、情熱、これら全てがプロゴルファーになるために準備されていたものと大西は確信していました。
そして初日、中嶋常幸がプロ初優勝を飾ったこの大会に出場した大西は、上位入賞すら夢見ていました。ラウンドが始まるまでは…。

-写真-ゴルフの練習に明け暮れる日々

 大西は、その日ジェット尾崎とのペアリングでコースを回ります。間近で見たジェットのゴルフは、飛距離、小技、パッティング、プレー中の精神力の強さ、そして絶対的な才能、この全てにおいて大西のゴルフとは、別次元にありました。
「俺のゴルフは大したことない」、練習では埋められない圧倒的な才能の差に、大西の自信は打ち砕かれ、完全な挫折を味わいました。この現実を受け入れざるを得なかった大西はプロテスト挑戦の夢をあきらめます。

 そして高校 3 年の秋、大西は父に幼少の頃から「大変な仕事だ。跡継ぎを考える必要はない」と言われ続けていた清掃業の仕事に就くことを決めます。この選択は、当時夢をあきらめた大西にとって「彼女をしあわせにする」ことのできる唯一の選択肢だったのだと思います。

 大西にとってゴルフとの1年半は、抑えきれないほどの情熱をぶつけることで、肉体的にも精神的にも成長したはじめての経験でした。
そして、屈辱的な挫折がさらに大西を大きく成長させたのだと思います。
ゴルフを捨てることで、大西は人生にとって大きな「何か」を手にいれたのだと思います。だから、大西にとってゴルフ、そしてゴルフを生み出した英国の文化は特別な存在です。

4.2つの顔の中心にあるもの

 高校を卒業した大西は、婚約した彼女との約束を果たすため、家業の清掃業に就きます。入社当時から幹部候補生であった大西は自分自身を律するため、あれほど好きだったゴルフを止め、 3 年間無遅刻無欠勤で通しました。
入社当初、将来の幹部の地位が約束されていた大西には、冷たい仕打ちが待ち受けていました。しかし、大西は決しておごらず、怒らず、 毎朝のランニングを決して欠かさず、 仕事に対しては誠実に、真正面から向き合っていきました。そして現場作業の合間に勉強し、大型免許、大型特殊免許、けん引(トレーラー)免許をはじめ、フォークリフトの建設系車両の操作や玉 掛け技能 講習の習得などを取得していきました。
大西の姿勢は、徐々に現場でも認められ、 3 年後には自他ともに認められる幹部候補生に成長していました。そして念願だった彼女との結納を正式に果たすことができました。  
 
 結納を契機に、大西がそれまで押し殺していた天性の好奇心が突然心の中にうずき始め、「新しいことに挑戦したい」衝動は大きく膨らみ、自分でも抑えきれなくなっていました。
大西は、「将来の幹部候補生である自分は、人前で堂々と話ができるようになることは必須条件」という理由を見つけ「話し方」教室に通い始め、「コンプレックスを持っている英語を克服するため」英会話学校に通い始めます。さらに体を鍛えるためにジムに通い出したのもこの頃から…。

 仕事を終えた後、梅田にある「話し方教室」に通い始めて半年、当初のコースを終えた大西は進級テストにパスし、プロ養成コースに進みました。さらに半年後、アナウンサー養成コースと、タレント養成コースに分かれる際、担当講師から「おまえはタレントに向いている」とおだてられ !? さらに進級していきます。
結局、当初 300 人以上いた同期生のなかで 3 人がプロダクション所属となりました。ここまでくると、オーディションに受かればギャラが入る仕事にありつけます。大西が初めて手にした仕事はオロナミン C のスチール撮影(写真)でした。
わずか数時間で、しかも笑っているだけで 10 万円のギャラを手にした大西は感激し、殺陣、日舞、ジャズダンスなど、芸事に真剣に打ち込んでいきます。

-写真- オロナミンCに出演した時のスチール

 そして「西部警察」や「木曜ゴールデン劇場」等の番組で大竹しのぶや石原裕次郎、渡哲也とともにテレビに出演していきます。昼間はし尿汲み取りや生ごみの収集運搬で侮蔑の混じった冷たい視線を浴びせられる大西は、夜はタレント業で若い女性から歓声と憧れの熱い視線を浴びていることに人の「おもしろさ」を感じます。
そして大西は、自分自身を定義し生き方を決めるのは、他の誰でもなく「大西信弥」でしかないと強く意識するようになります。人の価値を他人と比べることや、全てのことを競争で勝ち負けを決めてしまうことに疑問を持ち始めたものこの時期なのかもしれません。

次号に続く>>>

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