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風雲篇(Ⅱ)

筆者‐大芝太郎(2006年-志信会公式サイト「大西信弥物語」に連載)】

>>>前号より続く

23.礎

 「現実の政治なんてこんなものか・・・」
大西が抱いていた政治に対する「期待」は、数え切れないほどの死と向き合い、「生きる」ことを誓った震災体験とともに「失望」へと変わっていました。それでも心のどこかで、未だに政治への期待と失望が葛藤していました。そんなときに妻と別れ、大西は自分自身ではどうすることもできない苛立ちに悩まされ、「自分一人でいったい何が出来るのだろう」と、悶々とした日々を過ごしていました。

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 そんなとき、大西は一人の女性と出会います。彼女は実父の会社で勤めていたのですが、いつも凛として仕事も周りへの配慮も完璧にこなす美しい女性でした。しかし、彼女は自らを殺して生きている自分に疑問を持ち、「生きる」ことを肯定しきれないでいました。
大西は彼女の中にある深い悲しみを知り、それでも常にひたむきな姿に本当の強さを見ていました。そして彼女もまた、大西の深い悲しみと、真理を求める強靭な精神に触れて、自分自身の価値観が少しずつ変わっていくのを感じていました。
知らず知らずのうちに大西は、彼女が本当の自分をさらけ出すことができる
唯一の女性であることに気づき始めていました。
大西はこのとき、自分に欠けていたピースが彼女によって埋められていく様な不思議な感覚に包まれ、 2 人で1つになれると確信していきました。
そして、大西は彼女と結婚し、ようやく求め続けていた人生のパートナーを
得ることができました。

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-写真- 20年ぶりの愛犬オペラと(1997年・38歳)

24.本物の匂い

 「小池百合子さんをゲストに招けないだろうか・・・」
大西は当時、 優良納税事業者の青年部の部長を務めていたのですが、その役員会でひとりの役員の何気ないひとことに、大西は高揚感を覚えます。
すぐに、事務局を通して代議士事務所に連絡を入れ、小池百合子代議士との面談にこぎつけました。
地元でいろいろな団体に所属していても、どこか浮いた存在だった大西は、小池代議士と出会い、不思議なほどほっとした気分を味わうことができました。 共通点が多く価値観がとても似ていたのです。
大西も小池代議士も、大阪・神戸の狭間、阪神間で生まれ育ち、関西ことばをベースにしながら、長期間の海外生活、若くしての結婚~離婚体験を経て、東京での生活にも順応してきた二人は、“同じ匂い”のようなものを感じとっていたのかも知れません。
「小沢さんは誤解されることも多いけれど、本当に正直で尊敬に値する政治家よ」
小池代議士の言葉に大西はとても感激していました。

 小池代議士の価値観は、とても自由で、これまでの政治家のものとは全く別世界のものです。特に印象的なエピソードをひとつあげるなら、
「先生と読んだら罰金 500 円」という募金箱です。
秘書や記者、後援者の方々でさえ、うっかり「先生」と呼んでしまった場合、自主的にワンコインを投じることになっています。
小池代議士が醸しだす、これまでお会いしてきた政治家(屋)さんとは
全く違った雰囲気に大西は感激しつつも、
「もしかして、この募金箱は地元でのパフォーマンス?」
という疑問も払拭できず、仕事で上京した際に、いきなり議員会館を訪れます。( 本人が納得いくまで徹底的するのが、大西です・・・ )

結局、ここにも「あの募金箱!」がありました。こちらでは、官僚からも募金を募っているのだそうです。

「こりゃあ本物だ・・・。」
さらに数回の打ち合わせを経て、正式にゲストとして招いた講演会で、集まったメンバーたちを魅了し、執行部役員で催した二次会でも気さくに振舞う小池代議士に、大西は「これから何かが始まる」という予感と期待に胸をときめかせていました。

その後、大西は小池さん(そんな経緯もあり、この頃からこう呼び始めていました)を自宅に招き、今後についてじっくりと話し合いました。
当時、小池さんの願いは、自らを支援することの出来る保守系若手経営者の組織化でした。

小池百合子

-写真- 小池さんを自宅に招いて(1999年・39歳)

「わかりました。」
自宅を後にする小池さんを見送りながら、大西は早速、具体的構想を練り、
翌日には行動に移していました。その後、2度のミーティングを主宰、阪神地区の若手経営者と小池さんを招きました。

25.覚醒

 「政治であなたは何を変えられますか?」

「そういうあなた方こそ何ができるのよ !! 」

2度目の会合の 質疑応答の場面、メンバーのひとりが発した質問への小池 さんの返答は、それまでの長い挫折の中で「自分の使命」を模索し続けていた大西にとって、まさにカミナリに打たれたような衝撃でした。

青年小池招聘

-写真- 衝撃だった2度目の会合(1999年)

 この瞬間まで、東奔西走していた大西自身でさえ、小池百合子のために組織を作ってやっているという発想が奥底に潜んでいた事を思い知らされました。

「Ask not what your country can do for you .Ask what you can do for your country 」
(国が何をしてくれるかではなく、諸君が国のために何ができるかを自問してほしい)

鮮烈な響きと感銘を全世界に与えた若きアメリカのリーダー、J・F・ケネディの演説が今、大西の中でリアルに動き出しました。 大西の中で、国が「何をしてくれる? 」という受動的な発想から、国のために「何ができる?」、を自分に問いかける能動的発想に、思考の出発点が変わってしまったのです。

このことばを境にして、大西のなかですべての事柄が、大きく動いていくことになります。
「“世のため、人のため”は何のことはない、“自分のため”にすることなのに、そんな簡単なことを理解するのに 40 年近くかかってしまった。」

大西は笑いながら話します。
それが大西にとって、どれだけ大きな衝撃だったかは、今後の物語でお話していきます。

大西のミッションは明確なものになりました。
「我らが郷土を代表する、素晴らしい理念を 持った政治家・小池さんを支えることにより、この国の未来のためにつくす ! …。」

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-写真- 「小池百合子さんを働かせる会」で〆の檄(2000年・40歳)

 「祐ちゃん、やっと見つけたんだ。人生を賭けて自分がすべきことが。
この国を自立させようと思っているんだ。 40 年もかかってしまったけど、
限りなくでっかい夢でしょ。生きているうちに叶わないかもしれないけど、
100 年後には日本は確実に変わっている。変えてみせるよ。」

次号に続く>>>

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