見出し画像

書評:ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』

ロシアノーベル賞作家は獄中生活にどんな意味を見出したのか?

今回は、ロシアのノーベル文学賞作家ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』だ。

本作は、戦争中に捕虜となったことを罪とされ投獄された主人公の一日を描いた作品である。朝から晩までの主人公の行動、および周りの連中の様子が詳細に綴られていく。

何よりも驚かされたのは、全体を通して非常に淡々としたトーンを纏っており、物語の抑揚が感じられないという点であった。


何もせず、何も起こらないという一日なのでは決してありません。むしろ主人公の挙動の描写は細部にわたっており、周りの連中の雰囲気は喧騒そのものも言っても過言ではありません。

にも関わらず、非常に単調に感じられるのだ。それはあたかも、作中の一切の事象が全くの事件性を纏わずに読者に突きつけらるかのようだ。

一切の事象の単調化、あらゆる経験の無事件化。
何が起ころが起こるまいが、獄中においては同じこと。

これは、恐らく作者ソルジェニーツィンが自身の獄中経験に与えた意味付けのであったのではないかと思った。

それを描かんとする作者の意図が、作品の最後の一節に表れているように思われる。

『こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまでに、三千六百五十三日あった。閏年のために、三日のおまけがついたのだ・・・・・・・』

とは言え、これは私の個人的な感想だ。正直なところ、描かれている内容そのものは1日の出来事を綴っているだけなので難しくはないのだが、これが文学として如何なるメッセージを持つのかについては、結構考えされられてしまう。上記は私の考えた結果だが、個人的なものでしかないことをご了承願いたい。

ちょっと人にオススメするとなると、難しい作品だと感じている。


さて、ここからは四方山話。

ソルジェニーツィンがノーベル文学賞を受賞したのは1970年のこと。1970年代生まれの私KING王にとっては、古典文学というよりはほとんど現代文学というイメージが強を強く持ってしまうのだが、ソルジェニーツィンの生まれを改めて調べて見ると、1918年生まれであった。第一次世界大戦中と聞くと、やっぱ古典かぁと言う気もする。

文学史的な古典と現代の区切りもそうだが、より歴史一般では近代と現代という区切りの話もある。辞書的な意味で近代と現代をどこで区切るかという問いは、何に注目して論じるかで分かれるものであるが、少なくとも個人の心情としては、私自身が生きた時代(1970年代)以降は「現代でしょ!」と言いたい自分がいる。

しかしSNSなどで繋がる若い世代の方、特に21世紀生まれの方などは、20世紀を現代と感じているのだろうか。また、日本人の場合元号があるが、平成以降に生まれた方は、昭和以前(1988年以前)を現代を感じているのだろうか。

そういえば、個別のコンテンツを巡った世代間ギャップを酒の肴に語ることはよくあることだが、それらを俯瞰し「いつからを現代と感じるか」という意見交換をこれまで誰とも真剣にしたことがないように思う。

読了難易度:★☆☆☆☆.
この作品は面白いのかと問われると内心は微妙と思っているけどノーベル賞文学が理解できるとアピりたくて「名作!」と答えてしまう度:★★★★☆.
トータルオススメ度:★★☆☆☆.

#KING王 #読書好きな人と繋がりたい#本好きな人と繋がりたい#読書#読書感想 #書評 #書籍紹介#本紹介#海外文学#ロシア文学 #ソルジェニーツィン #イワン・デニーソヴィチの一日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?